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「モロタイ島」 のテレビ露出情報

台湾・烏来で先月、この地で代々暮らす、台湾の先住民族の林義賢さんに話を聞く。この地域には日本兵として戦死した先住民を弔う慰霊碑がある。林義賢さんは「父は一緒に戦った仲間に感謝していました 生きて帰れた人が運が良かったんです」と語る。戦時中、日本の植民地だった台湾。日本軍は台湾の先住民たちを志願兵として部隊に組み入れ、戦場へと送り込んだ。林源治さん1941年旧日本軍に入隊し、インドネシア・モロタイ島などで戦った。息子の義賢さんは、「祖母は父のことが心配で戦争にいって2年後に目が見えなくなってしまった」などと明かしていた。先住民たちはかつて高砂族と呼ばれていた。日本は生活習慣も異なる彼らを日本人と同化を図ろうとした。しかし先住民男性の手記には明確な差別が存在したと記されている。兵士が出征するときの様子を知る先住民は当時のことをはっきりと覚えていた。出征を見送ったニューンさんは「兵隊に行く人が赤いタスキ 他の人 青年 年寄り 子ども 生徒みんな旗持って」「みんな泣くよ かわいそう あの人若いのにどうして行くか」などと明かした。
先住民たちが送り込まれたのは12万人が戦死した東部ニューギニアなど南方の激戦地。日本軍は身体能力に優れていた先住民たちの部隊を結成した。旧日本軍の元将校・井登慧さん(102)は当時、台湾の先住民たちにある作戦を訓練していたという。日本軍は先住民たちに敵陣に忍び寄って襲いかかる遊撃戦を担わせた。しかしアメリカなど連合軍との潜力の差は歴然。病死や餓死する兵士が相次いだ。4000人を超える先住民が戦地に送られ7割が犠牲になったとされている。1995年当時69歳の元日本兵、イリシレガイさんは「動いている動物 トカゲとか殺して食べたぐらいだから」「バタバタと人が倒れている 夜刀で切って焼く それを考えたらもう…」と振り返っていた。この兵士から凄惨な戦場を聞いた息子のツムルサイ・ダウドゥドゥさんは「人の肉を仕方なく食べていたそうです 父が友だちに話しているのをこっそり聞きました 子どもに話すわけがありません」と明かしていた。そして日本は敗戦し、日本による台湾の統治は終わった。戦場から帰還した林源治さんは「いつも見るんだよ 悪い夢ばかりね」と語る。台湾先住民は、戦争が終わるともう日本人ではないとされ、軍事恩給などほとんどの戦後補償を受けられなかった。源治さんは「もっと日本のために尽くそうかと思ったけど」「日本に迷惑をかけたような気持ちで残念に思っております」「だから今さら何もいうことは私はないのです」と話していた。息子の義賢さんは「(父は)亡くなる1年前、病院で『早くドアを閉めて アメリカ軍に中で殺される』と訴えた」「今は戦争を想像することはできないが戦争は起きてほしくない あまりに残酷ですから」などと語っていた。

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