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「ヤマハ」 のテレビ露出情報

開発が始まって2度目の春、菅野に代わる新たなリーダー、小山裕之が着任。試作車をひと漕ぎした小山は衝撃を受けた。ホンダに特別な感情があった。パリ・ダカール・ラリーにエンジニアとして挑んだが一度もライバルに勝てなかった。負け続けた果てにエンジニアを解任されていた。小山はすぐさま試作車の改良に取りかかった。課題は「アナログ制御」だった菅野の試作車を「デジタル制御」に変えること。デジタルのガクガク感をなくすにはさまざまな条件下で走りデータを集めなければならない。目をつけたのは山の斜面に広がる茶畑の私道だった。小山は完成したら母、まつゑを乗せたい、この自転車ができたら母はきっと喜んでくれると思った。
オートバイを主力にしてきた会社において自転車はあくまで自転車だった。だが藤田は涼しい顔をしていられないほどの大問題があることを知っていた。道路交通法。自転車は「人の力により運転する」と定義されている。モーターが付けばそれは原則「原動機付き自転車」になる。否定的な意見が日増しに高まった。渉外担当課長・中村晴夫も否定的な1人。「99%無理」と言われても藤田は引けなかった。娘の渚はただならぬ父の姿を自宅で見ていた。「99%無理」という逆風の中、実験走行は続いた。あったのは一つの思い「この自転車があれば行きたいところに行けるようになる人がきっといる」だった。1990年、四面楚歌の秋、室長の藤田が動いた。「99%無理」と言う中村を本社屋上に呼び出した。中村は半信半疑で乗り、ひと漕ぎして感動の輪が広がろうとしていた。2人は運輸省と警察庁を訪ね「試乗して下さい」と訴え続けた。1991年6月28日、合同試乗会が警察庁の施設で開催されることになった。運輸省と警察庁から参加したのは17人の担当者。小山と藤田は仕組みを説明し「これは自転車。人の力により運転する乗り物です」と話した。午後1時、試乗が始まった。少しすると担当者の顔が変わり始めた。そして坂道を登り始めた時、担当者が笑顔になり「こりゃ楽だ」と発言。担当者の一人は「これは自転車だよな」と言った。ほどなく藤田たちのもとに「自転車の範疇である」という旨の連絡が入った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月24日放送 23:40 - 0:25 フジテレビ
FNN Live News αα×すぽると!
ソフトバンク1位・村上泰斗、2位・庄子雄大、3位・安徳駿、4位・宇野真仁朗、5位・石見颯真、6位・岩崎駿典。日本ハム1位・柴田獅子、2位・藤田琉生、3位・浅利太門、4位・清水大暉、5位・山縣秀、6位・山城航太郎。ロッテ1位・西川史礁、2位・宮崎竜成、3位・一条力真、4位・坂井遼、5位・廣池康志郎、6位・立松由宇。楽天1位・宗山塁、2位・徳山一翔、3位・中込陽[…続きを読む]

2024年10月20日放送 10:30 - 11:00 テレビ東京
アップグレードゴルフ(アップグレードゴルフ)
ティーチングプロ・常住充隆が「YAMAHA INPRES DRIVESTAR DRIVER」を紹介。常識を覆すカーボンフェースで直進性のあるドライビングを約束する。

2024年10月19日放送 19:30 - 20:15 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜革命の自転車が生まれるまで 世界初 電動アシスト自転車
発発売から31年、電動アシスト自転車は通常の自転車を上回る台数が販売されるまでになった。しかし発売から10年は赤字続きだった。社長に就任した長谷川武彦さんはそれを咎めず、新たな感動を届けようと呼びかけ続けた。そのなかで育まれ形となった製品が電動アシスト車いすだった。開発したのは電動アシスト自転車の発案者、菅野信之さん。プロジェクトを離れて退職するまでの24年[…続きを読む]

2024年10月14日放送 2:25 - 2:55 テレビ東京
田村淳のTaMaRiBa進行中の4プロジェクトの報告会
1つ目のプロジェクトは、「沖縄 三線保存継承プロジェクト」。このプロジェクトの趣旨は、「沖縄県の伝統的な楽器である三線を、保存し継承する」というもの。今までこの番組は、みらいおきなわ、ヤマハ、ANA、那覇空港などの協力を得て、このプロジェクトに取り組んできた。この番組の2022年9月、2023年3月、2023年9月に放送された回での、このプロジェクトの映像が[…続きを読む]

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