発発売から31年、電動アシスト自転車は通常の自転車を上回る台数が販売されるまでになった。しかし発売から10年は赤字続きだった。社長に就任した長谷川武彦さんはそれを咎めず、新たな感動を届けようと呼びかけ続けた。そのなかで育まれ形となった製品が電動アシスト車いすだった。開発したのは電動アシスト自転車の発案者、菅野信之さん。プロジェクトを離れて退職するまでの24年をこの車いすに捧げた。小山裕之さんの母は脚を悪くし自転車にのることは叶わなかった。母に乗ってもらうつもりだった自転車を小山さんは大切にしている。室長の藤田武男さんは定年退職するまで、開発にその身を捧げた。特許を独占しなかったことでヤマハは、電動アシスト自転車の国内トップシェアを譲ることとなった。しかしその技術は世界30か国に広がっている。