1983年7月、サマンサはモスクワを訪問した。翌日から両国合わせて30人もの報道陣がついて回り撮影した。ソ連の人たちは可愛らしい親善大使に夢中になっていたという。4000人もの少年少女が参加するサマーキャンプにも出席した。2週間ソ連滞在し帰国。地元では盛大なパレードでお出迎え。しかし「利用されただけ」「ソ連にとって最高の宣伝になった」など批判の声もあった。お互いの出方を探り合ってる中、ソ連の戦闘機が韓国の旅客機を撃墜したという事件が起きた。乗客乗員が全員死亡。ソ連側は領空侵犯だと主張。これで米ソ関係は再びギスギスしたものとなった。サマンサはしばらくすると再び平和を訴え小さな親善大使として世界各地を訪問した。