飲みにくい飲むヨーグルトが話題。会津中央乳業は1948年創業。社長の次男の二瓶専務は社長について、牛乳屋さんの天才と認める。会津中央乳業はシベリア抑留を強いられていた社長の父が日本へ帰還した1948年に創業。2代目となって生み出したのが「べこの乳」。特殊な温度帯での殺菌法を確立。その技術を活かし、飲むヨーグルト「ソフトクリーミィヨーグルト」を生み出す。家業を継ぐため修行に出たのが新潟。修行先ではメモ魔、ヨーグルト作りに夢中になったという。1960年代には味が濃く、風味が豊かなヨーグルトが完成。1980年代にのむヨーグルトが流行り始める。味が濃くてギリギリ飲める濃度の開発を始める。通常、乳酸菌を入れ発酵、砕いてサラサラにして詰める。当時の社長は、乳酸菌を入れた牛乳をそのまま詰めパックの中で発酵を行う後発酵と呼ばれる工法をとる。しばらくは高校や役所などの自販機でほそぼそと販売。地元スーパーの元バイヤーの安倍さんは、飲みにくいを前面に押し出したら一つのアピールになるとコメント。都内のスーパー、ドン・キホーテも香港やシンガポールの店舗などでも扱い始める。二瓶専務は飲みきれないほどの愛が詰まっているとコメント。