パリ大会に挑む日本代表を支えたのは島川慎一だった。ローポインターたちに積極的に声をかけた。一番のベテランとなった島川が目をかけたのが最年少の橋本勝也だった。橋本は産まれたときっから手足に欠損があり両足も切断したが運動能力の高いハイポインター。島川は橋本に自分を信じる大切さを伝えた。東京大会で人生最大の悔しさを感じた倉橋は相手選手に確実にぶつかるためラグ車の細かい向きを研究した。練習や試合の映像を繰り返し分析し守備の連携を目指した。それぞれが課題と向き合い挑んだパリパラリンピック。予選リーグ、倉橋はボールを持つ相手選手の進路をうまく塞ぎ、橋本がトライ。池透暢はローポインターたちの成長を感じていた。そして鬼門の準決勝へ。相手は強豪オーストラリア。クリス・ボンドとライリー・バットは世界最強のハイポインターコンビとして知られている。倉橋は東京のリベンジに燃えていた。細かくラグ車の角度を変えタックル。同点で延長線へ。延長線で倉橋はライリー・バットを止めた。こうして日本代表は始めての決勝進出。決勝で島川は橋本に「お前ならできる。楽しんでこい」と声をかけた。日本代表はアメリカ代表を倒し金メダルを獲得した。みんなでやろうと決めていた掛け声があったそれが「1、2、3、ケビン。1、2、3、ニッポン」だった。こうして1つになった車いすラグビー日本代表は歴史を塗り替えた。