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「ランラン」 のテレビ露出情報

日本にやってきたランランとカンカンだが、2頭は昭和48年には新居への引っ越しを行うことに。冷暖房完備の豪邸となっていた。その中でアメリカ・ワシントン動物園でのジャイアントパンダ同棲という記事を見て繁殖に着手しようとする。しかし、ランランは食欲不振となる様子が見られた。この姿にランランは発情したのではないかと考え繁殖のタイミングと考える。ランランはカンカンのもとへ進むが、カンカンはそっぽを向くばかりだった。それでもしばらくすると後尾の体制に入る様子が見られたがこの時は未遂で終わった。メスのパンダの発情期は年に1週間程度しかないことからこのときの繁殖は失敗に終わった。昭和50年に入ると、本間たちは発情を促すため餌に馬肉スープやランランの発情した鳴き声を聞かせるなどしたがこの年・翌年にランランが発情することはなかった。それでも昭和52年にはランランが発情し、カンカンもペアリングを成功させたのだった。楠トシエ・杉並児童合唱団による「パンダの赤ちゃん」などの曲も生まれたが、ランランには妊娠の兆候が現れなかった。当時について本間さんは全然わからないことなので生まれない可能性も出てくるかもしれません、静かにしてもらいたいとコメントしていて、結局この年も赤ちゃんは生まれなかった。53年は遂にランランに妊娠の兆候が生まれたが流産の可能性が高いと診断された。次第に本間は赤ちゃんを産むことも大事だが元気でさえいてくれたらもうそれで十分と考えるように代わっていった。その中でランランがぐったりと倒れる。急性腎不全が理由でありすぐに治療が行われたものの昭和54年の9月4日に眠りにつくこととなった。ランランのお腹には小さな命が宿っていたことも判明した。そして、昭和55年にはランランを追うようにカンカンもこの世を去ることとなった。2頭に寄り添い続けた本間も定年のために上野動物園を去ることとなった。想い出を問われた本間は「なんと言ったってランラン」「こんなにも身が引き裂けるような思いはしたことがありません」と別れへの思いの深さを述べた。しかし、その苦労や経験はその後の繁殖に役立てられて上野動物園では7頭の赤ちゃんパンダが生まれるまでとなった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月21日放送 22:00 - 23:00 NHK総合
そこにはいつもキミがいた!(そこにはいつもキミがいた!)
昭和47年パンダが初来日、「ランラン」と「カンカン」。2頭はこの年、日中国交正常化を祈念して中国から贈られた。歴史の転換点に現れたスターに、日本中が大フィーバー。一般公開の前には徹夜組もいた。公開当日の行列は1km超え、先頭には徹夜で待機していた男性の姿があった。初日は6万人が動物園に殺到、見ることが出来るのはわずか20秒程。パンダの魅力が、日本と中国との心[…続きを読む]

2025年8月11日放送 18:05 - 18:32 NHK総合
熱談プレイバックランラン カンカン物語
日本にやってきたランランとカンカンだが、2頭は昭和48年には新居への引っ越しを行うことに。冷暖房完備の豪邸となっていた。その中でアメリカ・ワシントン動物園でのジャイアントパンダ同棲という記事を見て繁殖に着手しようとする。しかし、ランランは食欲不振となる様子が見られた。この姿にランランは発情したのではないかと考え繁殖のタイミングと考える。ランランはカンカンのも[…続きを読む]

2025年6月30日放送 5:25 - 8:14 フジテレビ
めざましテレビNEWS カイトウ
いわゆる“パンダ外交”。野生のパンダは中国の一部地域のみ生息していて、ワシントン条約によって売買が禁止されている。中国はパンダを他国にレンタルする“パンダ外交”を展開してきた。1941年にアメリカへの日中戦争への協力を仰ぐためにパンダを送った。日本には1972年、国交正常化を記念してカンカン、ランランが上野にやってきた。現在、中国がパンダを貸与しているのは世[…続きを読む]

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