大塚さんは18歳で名古屋のホテルの調理人として働いていて調理師免許を取得した。その3年後には水商売をしたというが30代前半まで水商売をしていたが営業マンをしていた。しかしかなりブラックだったという。そのストレスで髪の毛がボロボロぬけ、自分の身体が壊れていくのがわかったという。しかし不思議と辞めたいとは思わなかったというが性質的に死ぬまで働きたいということがわかった。定年後の人生に疑問を感じ、その後もずっと現場で働いている状態が良いと感じたという。その後たこ焼き屋になろうと修行を開始。するとその半年後にはたまたまスロベニアで働く友達がいて、誘われたというが、たこ焼き屋が全くなく、競争も無かったために経験が乏しくてもやっていけると考えた。