小泉八雲とセツのひ孫・小泉凡氏がひ孫からみた“セツと八雲”について語る。小泉氏が八雲を意識したのは幼稚園の頃、その後は七光りとみられるのが嫌で意図的に遠ざけてきたが、大学院で民俗学を専攻しているときにアメリカの民俗学者ラフカディオ・ハーンの論文と出会い、にわかに親近感を抱いた。八雲は1850年にアイルランド人の父とギリシャ人の母との間にレフカダ島で生まれ、子ども時代はアイルランドのダブリンで過ごした。乳母が多くの怪談を語り、感心を抱くようになる。アメリカで約20年間のジャーナリスト生活を経て39歳で来日。英訳の古事記を読んで以来あこがれていた松江で英語教師となり、セツと出会う。54歳で亡くなるまで約30冊の本を世に出した。セツは1868年に松江に生まれ、稲垣家の養女として育まれた。セツは八雲のお世話係として白羽の矢が立った。セツは小さい頃にフランス人のワレットから虫眼鏡をプレゼントされた経験があり、外国人への違和感が少なかった。セツと八雲は偏見が少なくオープンマインドを持ち、極貧生活・結婚生活の破綻という苦悩を経験し、共に物語を聞くことに至福の時間を見出していった。
八雲の得意とする文学ジャンルは紀行文と再話文学。家庭生活では4人の子に恵また。残された家計簿によると、セツは八雲の健康を考え西洋の食品を購入し一緒に食事を楽しんでいたと思われる。八雲が突然の心臓発作で旅立ったときセツはまだ36歳。エリザベス・ビスランドやバジル・ホール・チェンバレンなどが手を差し伸べ、八雲の著作権の保護を通してセツへの経済支援に尽力した。八雲とセツが生涯で紡いだ怪談作品は80話ほどに上る。晩年のセツは古書店を巡り夫が好みそうな怪談・奇談集を入手し語った。2人が紡いだ怪談作品に世界から注目が集まっている。2022年にはミラノで八雲の怪談をテーマとする大掛かりなアート展が開催され、半年間で9万5000人が入場した。2023年にはアイルランドのアーティストの企画による怪談アート展が開催された。八雲とセツが紡いだ怪談は東洋と西洋、人と自然、現実世界と超自然の世界を結ぶつながりの文学として注目を集めている。
八雲の得意とする文学ジャンルは紀行文と再話文学。家庭生活では4人の子に恵また。残された家計簿によると、セツは八雲の健康を考え西洋の食品を購入し一緒に食事を楽しんでいたと思われる。八雲が突然の心臓発作で旅立ったときセツはまだ36歳。エリザベス・ビスランドやバジル・ホール・チェンバレンなどが手を差し伸べ、八雲の著作権の保護を通してセツへの経済支援に尽力した。八雲とセツが生涯で紡いだ怪談作品は80話ほどに上る。晩年のセツは古書店を巡り夫が好みそうな怪談・奇談集を入手し語った。2人が紡いだ怪談作品に世界から注目が集まっている。2022年にはミラノで八雲の怪談をテーマとする大掛かりなアート展が開催され、半年間で9万5000人が入場した。2023年にはアイルランドのアーティストの企画による怪談アート展が開催された。八雲とセツが紡いだ怪談は東洋と西洋、人と自然、現実世界と超自然の世界を結ぶつながりの文学として注目を集めている。
