TVでた蔵トップ>> キーワード

「ロドリゴ・デ・ビベロ」 のテレビ露出情報

家康は外国船を呼び寄せるだけでなく、日本自ら世界に海に乗り出すという野望も抱いていた。アメリカ大陸に植民地ヌエバ・エスパーニャを設置したスペインは、アカプルコを拠点にヨーロッパからアジアにまたがる世界中の品々を取引していた。家康はそこに日本の船を送り込み、現地で直接売買することで新たな貿易利益を手に入れようとしていた。さらに現地に渡った日本人には、現地の最先端技術を学ばせようとした。スペインの航路に参入するのは容易でなく、何度もスペイン国王に許可を求めて書簡を送っても拒まれ続けた。そんな中1609年にスペイン船が日本の近海で座礁し、乗っていたのはスペイン国王に使える重臣の1人であるロドリゴ・デ・ビベロだった。家康は日本がスペイン航路に参入する許可をもらえるよう交渉したが、ビベロが出した条件は「キリスト教の教会やミサを許可する」など強気なものだった。家康は「オランダ人を国外追放する」「スペイン人が鉱山を発見した場合利益の4分の3を与える」の2つ以外はすべて条件を飲むと伝えた。リベロが帰国した翌年、スペイン国王から家康のもとに洋時計が贈られた。1613年にはスペインで通商の許可書が作られ、家康に送られることになった。その頃日本では大坂の陣が勃発。勝利した家康は政権基盤を盤石にすることに成功したが、許可書がスペインから届くことはなく家康は75歳でこの世を去った。その後家康が禁教令を発したという情報がスペインに届き、許可書の発送は差し止められた。後を継いだ秀忠は家康の対外政策を転換させ、ヨーロッパとの貿易を制限した。1641年に幕府は貿易を長崎でのオランダ相手のみに限る鎖国体制を固めた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年12月19日放送 23:50 - 0:40 NHK総合
NHKスペシャル家康の世界地図 ~知られざるニッポン”開国”の夢~
家康は外国船を呼び寄せるだけでなく、日本自ら世界に海に乗り出すという野望も抱いていた。アメリカ大陸に植民地ヌエバ・エスパーニャを設置したスペインは、アカプルコを拠点にヨーロッパからアジアにまたがる世界中の品々を取引していた。家康はそこに日本の船を送り込み、現地で直接売買することで新たな貿易利益を手に入れようとしていた。さらに現地に渡った日本人には、現地の最先[…続きを読む]

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.