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「ヴィシヴァンカ」 のテレビ露出情報

ダリナさんはウクライナ・ドニプロに住んでいて家族と離れ1人日本に避難した。必要なものをいれたあと詰めたのはグリーンティーの香水。香水は12歳の誕生日のときおばあさんからもらった。ダリナさんは仙台で大学に通い授業と寮を往復する毎日を過ごしている。
ドニプロから避難したクリスさんが大切なものは1年間住んでいたウクライナの学生寮の鍵。避難したのは軍事侵攻初日。寮は古い建物で部屋の扉が壊れたり水漏れしたこともあった。クリスさんは寮では仲間と料理も作っていた。
ディマさんは自分が生まれる前に亡くなった祖父が着ていた服を避難の荷物に入れた。服はヴィシヴァンカという民族衣装で日本でいうと着物。祖父が着ていたのは70年以上前で祖母から譲り受けた。当時ウクライナはソビエト連邦の一部祖父はアイデンティティをあらわすヴィシヴァンカを身内の前でしか着なかった。ディマさんはヴィシヴァンカを着てみた。
リディヤさんは87歳でいつもアクセサリーを身に着けてきた。しかし、避難のときは選ぶ時間もなかった。ウクライナにおいてきたアクセサリーは数え切れずどれも亡き夫がプレゼントしてくれたもの。
オレクシーさんは1冊のノートから日本への興味を深めウクライナでは日本経済を学んだ。侵攻が始まったのは大学卒業目前のときである。オレクシーさんはウクライナを出て勉強を続ける道はないか模索してきて1年かけ留学という形で出国が認められた。
アルミナさんは避難のときスーツケースに大切なものを詰め込んだ。ウクライナの部屋ではお気に入りの雑貨に囲まれながら過ごしていた。日本でもウクライナの部屋の雰囲気を作ろうとしている。アルミナさんは本当はスーツケース4つ分は持っていきたかったと話した。それでも人生で大切なものすべてはスーツケースに入らない。

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