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「七湯方角略図」 のテレビ露出情報

福住正兄は文政7年に相模国大住郡片岡村の名手の五男として生まれた。湯本村で湯宿を営む福住家に婿養子に入ったのは嘉永3年。27歳の時だった。当時は湯本で起きた火災の類焼で経営が傾いていた。しかし歌川広重に旅館の絵を描かせて宣伝してもらったという。そして明治になり、足利新聞に福沢諭吉が箱根温泉の発展には人力車が通れる道が必要と提言。すると、それに共鳴した福住正兄はすぐに開削工事へ。明治8年に小田原板橋から湯本山崎間に日本初の有料道路を完成させた。さらに次に旅館も近代化のために、建て替えることに。視察したのは東京や横浜でみた、駅舎の佇まい。それこそが石造りの擬洋風建築だった。長野県松本市の旧開智学校校舎は地元の大工が持てる技術を使って洋風建築に挑んだもの。視察から2か月で新たな旅館の建設を開始。明治10年に金泉楼、その翌年に萬翠楼が完成した。和洋折衷の擬洋風建築は箱根の近代化の先駆けに。明治10年9月発行の箱根熱海道案内には、営繕美という言葉が。建物内の設えの美しさのことを指す。その極地とも言えるのが組子障子。

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