幕末の戊辰戦争で上野の森は戦場となった。1868年に彰義隊と新政府軍の激しい戦いの末に寛永寺の本堂を含む多くの建物が焼失。その上野が公園になるきっかけを作ったのはオランダ軍医のアントニウス・ボードワン博士。焼け跡に病院を建設しようとしていた文部省の役人と上野を訪れたボードワン博士はこの場所を公園にするべきとした。洋食を日本に広めた精養軒は政治家達も惚れ込んだビーフシチューがある。精養軒は上野公園誕生の前年に開業した。1876年5月9日に精養軒に明治天皇、政府高官らが集い日本で始めての公園開園のレセプションが行われた。打ち上げた花火には人形などのお土産がしこまれ、公園の観客を楽しませたという。