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「世紀の遺書」 のテレビ露出情報

堅太郎がスガモプリズンで見送った死刑囚は26名であり、処刑された戦犯たちの残した遺書をまとめることを思いつき、発起人となった。1953年に刊行された「世紀の遺書」はアジア太平洋で戦犯として命を絶たれた成迫忠邦海軍上等兵曹ら約700人の遺書が収録された。1956年、堅太郎は仮出所し帰宅し、妻が守ってきた文具店を手伝い始める。堅太郎は海が見える高台に住処を構えた。スガモプリズンがなくなる際の式典の様子が映像で残されており紹介した。三男・克也らは父・堅太郎は亡くなった仲間たちの分まで精一杯やらなくてはならないという気持ちで居たはずなどと語った。1978年、堅太郎は思い切って一等地に店を構え、事業を拡大し、現在は三男・克也が引き継いでいる。1979年にRKBテレビの番組に堅太郎が出演した映像を紹介。堅太郎は60を過ぎた頃からアジアからの留学生の支援に尽力し、日本人は被害者意識だけが高く、戦争の加害者意識が薄く、真の愛国心は隣国から慕われる国にすることであるとし、個人的にアジア諸国の人々に責を感じているのだと打ち明けていた。1983年に堅太郎は68歳で死去した。

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