東京ではだしのゲンの翻訳が始まり、すぐに難しさに気づいた。英語は左から読むため文の方向に合わせてコマの順番を逆にする必要があり、手作業で切り貼りした。広島弁やお経、浪曲はどう訳していいかわからず、メンバーは仏教の英訳本などを取り寄せて約していった。そんな中、日本文化を学ぶために来日していたアラン・グリースンが噂を聞きつけてやってきた。ベトナム戦争の真っ只中で育ち母国の無差別な爆撃に嫌気が差していたアランは、徴兵を拒否して反戦運動に身を投じた。はだしのゲンを読んだアランは、これほどシリアスな漫画はアメリカにないと驚いた。アランはとにかく英訳して配りたい気持ちが強かった、反発が来るか売れるかどうかは考えていなかったと話した。大嶋さんたちは資金集めに奔走し、200万円ものカンパを集めた。完成した本を800冊を刷り、ジム・ペックに送った。ジムは知り合いたちに勧め、評判はサンフランシスコまで轟いた。コミック編集者のレナード・リーファスさんは、うちで出版させてほしいと申し出た。世界最大級の企業グループ、ペンギンからも出版したいと言われた。しかし売り上げが思わしくなく、次々と絶版になった。