福井県あわら市からの依頼人の志賀さんは宮大工をやっている。代々宮大工の家計で、高校卒業後父のもとで修行。この道約60年の大ベテラン。設計から施工まですべて請け負い、建物全体を改築したり、細々とした修繕をしたりこれまで北陸3県を中心に200以上の寺社仏閣を手掛けてきた。父は大の骨董好きで毎月骨董商が訪ねてくるほどだったという。40年ほど前、骨董商が父に勧めていたもので、父が「お前が買え!」と言ったという。そのときは150万円だったという。そのお宝は、芝山細工の置物。芝山細工とは、文様の形に加工した貝・象牙・鼈甲・珊瑚などを漆塗りの面にはめ込む装飾技法。各種の素材をはめ込む技法を象嵌という。様々な種類があり、その多くは表面を平に仕上げるが、芝山細工は文様を立体的に表現。江戸時代後期、上総国芝山村出身の小間物商が考案したのが始まり。印籠や根付などは諸大名の間で評判を呼び、大名家から将軍家への献上品にもなったほど。1859年に横浜が開港すると、芝山細工は一大転機を迎える。外国人貿易商の目に止まり、たちまち欧米からの注文が殺到。彼らが好んだ理由は、多様な素材を使い分ける繊細にして絢爛たる美しさと、何よりも装飾が立体的で他の工芸品と比べてひときわ華やかだったこと。当初職人たちは浅草を拠点にしていたが、輸出の増加とともに輸送の手間を省くため横浜に移り住んだ。折しも欧米で開催された万博でジャポニスムブームが巻き起こったことも追い風となり、芝山細工は東洋のモザイクと呼ばれ珍重された。最盛期には花瓶や置物なども商品から、棚や衝立といった大作まで様々な品が作られ海を渡った。長らく輸出工芸品の華として隆盛を誇ったが、関東大震災で多くの職人が離散。さらに横浜大空襲で壊滅的な被害を受け一気に衰退。現在この技術を継承する職人はわずか数名。
住所: 福岡県太宰府市石坂4-7-2
URL: http://www.kyuhaku.jp/
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