100通のビデオレターの中でも、とびきり元気で明るいメッセージを届けたのが、美紀さん。暮らしていたのは、名取市閖上地区。住民の1割以上、約750人が津波の犠牲になった。家族は無事だったが、自宅は全壊。震災当日、美紀さんは、小学校屋上に避難し、寒さと恐怖の中一晩を過ごした。2014年、美紀さんは、閖上から7キロほど内陸にある仮設住宅にいた。仮設内の学習塾では、美紀さんひとりで授業を受ける日もあった。閖上では、高台移転などをせず、一部地盤の嵩上げ工事を行い、現地再建を進めてきた。街の整備が進むにつれ、外から移り住む人も増えてきた。美紀さんは現在、22歳。名取市内に住み、仙台で電話対応の仕事をしている。美紀さんは、15年前に作ったビデオレターを久しぶりに見返し、周りの人を笑顔にしたい、元気にしたいという気持ちがあったかもしれないなどと話した。小学6年生のとき、中学進学を控えた美紀さんに対し、母親は、いつもニコニコしていて、元気、誰にでも愛嬌よくやっていた、だから一番心配していなかったが、寂しいところもあると思うなどと話していた。美紀さんは当時を振り返り、人を頼れず、自分から、やりたいことなどを言い出せない性格だったと話す。母校の閖上小学校は、美紀さんが中学3年生のとき、小中一貫校として再建された。高校では3年間、人間関係に悩んでいたという。美紀さんは、大切にしたい人を大切にすればいい、みんなにそうしていると疲れてしまうからなどと話した。当時、心の拠り所になっていたのが、津波に耐えて残っていたいくつかの建物。美紀さんは、建物として生きる力が見えてすごいなどと話した。唯一残っていた建物も今、解体されようとしている。美紀さんは、起きてしまったことは巻き戻せない、これからどう生きていくかが一番大事だなどと話した。
