安土桃山時代、すでにふぐは食べられていた。しかし毒の存在が分かっておらず、大勢の兵士が亡くなった。ふぐ食禁止は江戸時代以降も継続し、明治時代はふぐを食べたら罰則を受けることもあった。割烹旅館春帆楼は創業140年以上の歴史を誇る。明治20年、伊藤博文が突然訪問。女将は生け簀に置いてあったふぐを出すことを決めた。山口県では禁制の時代にも庶民の間ではふぐを口にする者がいたとされる。伊藤博文の働きかけにより、明治21年山口県のみでふぐ食が解禁。ふぐ解禁の地となった下関市には全国の料理人が修行に訪れる。
住所: 山口県光市大字束荷2250-1