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「佐々木禎子」 のテレビ露出情報

佐々木禎子は被災当時2歳で、爆心地から1.6kmの自宅で母たちと暮らしていたという。一家は太田川から避難しようとしたが、そこに放射性物質を含んだ黒い雨が降ってきた。両親は生活の再建を行っていき、佐々木禎子は大きな病気をすることなく小学生になった。一方で広島駅から近い場所にいたのが中村節子だ。中村節子は陸軍施設で暗号解読の手伝いをしていたという。中村節子は原爆で親族を亡くしたという。広島では年末までに14万人が亡くなったとされる。GHQは情報統制によって被爆地の様子は広がることはなかったという。
原爆によるケロイドは差別の対象になり、特に若い女性のケロイドは結婚や就職の壁になったという。そんな女性たちを救おうとしたのが牧師の谷本清だったという。1955年に谷本清は25人の女声をアメリカに連れていき治療を受けさせたという。中村節子はそんな谷本清の活動を助けていたという。その活動を通じて中村節子はジム・サーローと出会い結婚した。
1952年に日本は独立を回復し、原爆被害の現実について報じて、日本中が原爆の被害について知ったという。2歳で被爆した佐々木禎子は11歳の冬に急性リンパ性白血病になり入院した。そうした中で名古屋の高校から原爆患者のために千羽鶴が贈られてきて、自分でも鶴を折るようになったという。佐々木禎子は病状が悪化しても鶴を折り続けたという。しかし佐々木禎子は8か月の闘病の末に亡くなったという。そしてジャーナリストのロベルト・ユンクは戦後原爆の被害の実態を世界に伝えた本「灰墟の光」を出版した。
アメリカの人からの被爆者の声を伝えようとする人がでてきた。バーバラ・レイノルズは核廃絶をする署名活動を行い、被爆者と世界巡礼を行って被爆者の声を伝えていった。1964年には被爆者とハリー・トルーマンとの面会に成功した。中村節子はカナダ・トロントで生活し、そうした中で被爆体験を子どもたちに語るようになったという。またエレノア・コアが書いた「サダコと千羽鶴」は海外の学校教育にも取り入れられるようになり、世界中の子供達に広く読まれるようになった。そして折り鶴は核廃絶と平和を願う人達の象徴になっていった。
1982年6月。ニューヨークには核廃絶を求めて100万人が集まった。デモ行進には中村節子も参加したという。2012年の8月に行われた広島の平和記念式典にはトルーマン大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルが参加していた。2017年に85歳になった中村節子は国連を訪れて、核兵器禁止条約が採択された。さらに2017年のノーベル平和賞にはICANが選ばれた。佐々木禎子の友人だった川野登美子さんも佐々木禎子のことを次の世代に語り継いでいる。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月24日放送 5:45 - 6:00 フジテレビ
皇室ご一家(皇室ご一家)
8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に臨まれた。80年前の正午、昭和天皇の玉音放送で戦争の終結が告げられた。政府主催の戦没者追悼式が初めて行われたのは昭和27年5月2日、日本が主権を回復して4日後のことだった。戦後70年の式典で、上皇さまは初めて「深い反省」という言葉を使い、犠牲者を悼まれた。戦後80年にあたり、両陛下は各地で慰霊を続けられていて、沖[…続きを読む]

2025年8月23日放送 5:15 - 5:30 TBS
皇室アルバム(皇室アルバム)
終戦の日の8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に出席。戦没者の遺族など4500人が全国から参列。両陛下は正午の時報で黙祷され、戦後80年の節目に平和への思いを新たにされた。
7月11日、秋篠宮ご夫妻は佳子さま・悠仁さまと共に都内で行われた原爆写真展へ。会場では、市民や報道カメラマンが記録した写真160点が公開されている。秋篠宮さまは「こういったこと[…続きを読む]

2025年8月12日放送 8:14 - 9:50 フジテレビ
サン!シャイン(ニュース)
秋篠宮家の紀子さまと佳子さまがきのう、広島市の平和記念公園を訪問された。佳子さまは青年後初めての広島ご訪問で、紀子さまと原爆慰霊碑にご供花された。その後お二人は市内にある原爆養護ホームへ訪問された。入居者が折り紙で作ったハトを手に取り、翼を動かしながら笑顔を見せられた。先月には御一家で都内で行われた「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を訪問された。おととい[…続きを読む]

2025年8月11日放送 5:25 - 8:14 フジテレビ
めざましテレビNEWS
紀子さま・佳子さま広島訪問。今回の広島訪問は私的なもので、佳子さまが成年後広島入りされるのは初。「原爆」題材のミュージカルを鑑賞した。

2025年8月11日放送 4:30 - 5:20 TBS
THE TIME’(気になるニュース)
紀子さまと佳子さまが広島県を訪問し、広島市でハワイのミュージカルグループが演じる英語の劇を鑑賞された。演目は「原爆の子の像」のモデルになった12歳で逝去した佐々木禎子さんの生涯を描いたもので、おふたりは、真剣な表情で鑑賞されていた。おふたりは、通訳なしでキャストに英語で声をかけ、観劇の感想などを話された。今回の広島訪問は、「私的旅行」に位置づけられるというこ[…続きを読む]

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