震災発生当時、須磨区の住宅地で1人暮らしをしていたのが佐藤悦子さんの母・正子さん。悦子さんが現地に着いたのは震災3日後。自衛隊の協力を得て焼け跡を何度も捜索したが母の手がかりは見つからなかった。悦子さんは「遺体もみていないし骨のかけらもなかったので納得のしようがない」と振り返った。震災30年となった去年、悦子さんは震災の語り部たちに出会い、新たな交流が始まった。行方不明者の家族が初めて務める今回の遺族代表、悦子さんは母にさよならを告げられずに生きた31年を「お母ちゃんと私はサヨナラのない別れ」などと言葉にした。
