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「佐藤良二」 のテレビ露出情報

太平洋から日本海まで生涯をかけて桜の木を植え続けた佐藤良二の物語を講談師・神田阿久鯉が語る。昭和4年、岐阜県白鳥町の貧しい農家の家に生まれた良二は3歳の時に母を病で亡くし、父の仁助が男で1つで育てた。昭和22年、18歳になった良二は国鉄バスの職員になるため愛知県豊川市の自動車学校に入学。寮生活を始めた。寮生に焚き付けられ、俳優志望となり映画会社へ応募したが結果は不合格。整形手術まで受けその気になっていた良二はは恥ずかしさと悔しさでいっぱいになった。昭和28年、良二は地元へ戻り金沢と白鳥を結ぶ路線バス「金白線」の車掌に就任。その頃、戦後の復興のため国が巨大ダムの建設を計画し、それにより山あいにある荘川村と白川村をダムの底に沈めることに。村の世帯数は301世帯。1346人の村人が大混乱に陥った。2つの村は良二が運行するバスの沿線にあり、無関心ではいられず。そんな中、せめてここに村があった証だけは残そうと2本の桜の木を高台に移植する計画が持ち上がった。木は樹齢400年、重さ40トンの巨木。大工事が行われ桜は無事高台へ。数年後村の名前を冠し「荘川桜」と命名された2本の桜は見事満開の花を咲かせた。良二はカメラを持って駆け付けダム湖の上に咲く桜を撮影。その美しさに心を奪われると同時に、村人たちが失った村での日々と桜を重ね合わせる光景を目にし「桜はこんなにも人の心の奥底を揺さぶるのか」と痛く感銘を受けた。幼少期父に言われた「お前も大きいなったら人様の喜ぶことをせなあかん」という言葉が頭をよぎった良二はこの日を堺に大きな夢に向かって歩みだした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年3月19日放送 23:00 - 23:28 NHK総合
熱談プレイバックさくら道の物語
昭和41年、36歳になった良二は自身がバスで移動する区間白鳥から荘川桜まで約40キロを桜で埋め尽くそうと決意。手始めにバスの停留所から植えていこうとしたが圧倒的に苗木の数が足りず。勤務明けや休日を利用して沿線の家を一軒一軒訪ね募金を募り、自身も給料のほとんどを苗木代につぎ込んだ。徐々に苗木の数を増やしていったが、せっかく植えた苗木も夏には毛虫に食い荒らされ、[…続きを読む]

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