首里城では復元工事が行われていて、正殿は骨組みまで出来上がっている。琉球王国の王家、尚家に伝わる史料を紐解くと、沖縄北部の地域でとれた材料で弁柄(顔料)を塗装に使っていた。よりオリジナルに近い正殿の復元を目指しているという。正殿の中心部、御差床は玉座がある部屋で、そこには額が掲げられていた。史料によると、黄色で彩られていたといい、黄色は中国において、皇帝、皇族関係者に限って使われていたという。琉球王国と中国は密接な関係で結ばれ、国王が代替わりするたび、中国から使節が招かれ、新国王を承認する儀式が行われていた。
琉球王国は漆器を輸出し、ヤコウガイという貝殻を使った螺鈿細工は中国で珍重された。科学調査の結果、漆はタイ・ミャンマー産で、輸入した原料を自国の工芸技術に活用していた。なお、中国からやってくる使節団は500人にのぼり、半年にわたって滞在。料理には力を注ぎ、1度に49品も提供されたという。花火の仕掛けでも使節団を歓待したと考えられる。
琉球王国は漆器を輸出し、ヤコウガイという貝殻を使った螺鈿細工は中国で珍重された。科学調査の結果、漆はタイ・ミャンマー産で、輸入した原料を自国の工芸技術に活用していた。なお、中国からやってくる使節団は500人にのぼり、半年にわたって滞在。料理には力を注ぎ、1度に49品も提供されたという。花火の仕掛けでも使節団を歓待したと考えられる。