冬至堅太郎は1946年4月に土手町刑務支所に戦犯として拘留された。当時、堅太郎は妻・安余との間に二人目の子どもが誕生し、家族まで不幸のどん底へと突き落とした苦悩を日記に記していた。次男・眞也は当時母に連れられて拘留された父に会いに行ったのだなどと明かした。堅太郎は戦犯たちが描いた下絵を基に獄中で版画を彫っていた。1948年、安余は文具店を新装開店して商売を続けた。堅太郎は当時のことを、私は自分自身と戦い、妻・安余は世の荒波と闘い、共に運命との闘争なのだなどと綴っている。
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