時代劇の表現を追求してきた京都の太秦では、6月に新作の時代劇映画「木挽町のあだ討ち」の撮影が行われていた。父の仇を討つため江戸にやってきた侍と彼を見守る歌舞伎座の人々の物語。企画を立ち上げた須藤泰司プロデューサーは、この作品を時代劇復活の第一歩と考えていた。最盛期には年間150本以上の時代劇映画が制作され、世界中の映画に影響を与えた。その後テレビへと主戦場を移したが、1970年代以降制作本数は減少。水戸黄門を最後に民放地上波から姿を消した。須藤プロデューサーは仇討ちに謎解きの要素を加えることで観客の間口を広げようと考えた。60年以上太秦で時代劇を作り続けてきた峰蘭太郎氏が所作指導を行った。
