1998円3月、新幹線プロジェクトが動き出した。開業目標は2012年。真っ先に工事が始まったのが飯山トンネルだった。鉄道公団のもとには日本を代表するゼネコン23社が集結。延べ65万人が導入された。6つに分けられた飯山トンネル。最も軟弱で地盤が悪かったのは木成工区。リーダーに指名されたのは大成建設の森田隆三郎。支保工で支えながら掘り進め開始当初は1か月で60mと順調に進んだ。しかし壁の向こうから不気味な音が聞こえ始めた。音の正体は可燃性のメタンガスだった。さらに鋼鉄の支保工が次々と破壊されてしまった。工事は停滞し月に10mしか進めなくなってしまった。苦戦を強いられる現場に剣持三平にやって来て、新技術の多重支保工法を教えた。2つ目の支保工を立てるタイミング。立てるのが遅れると1つ目の支保工が完全に破壊された。早すぎると緩衝材として機能せず地盤は動き続け2本目の支保工をも破壊した。タイミングを見極めるには山の動きを立体的に捉える新たなアプローチが必要だった。山に目印をつけその場所を毎日計測する。目印は日々数cm単位で内側へ動き続けた。これが山の動きだった。この動きを山全体で予測できないか。そのためには徹底的な計測で大量のデータを集めるしかなかった。計測を託されt尚が新入社員の林成浩だった。林はアクアラインなど都市インフラに憧れて入社した。しかし送り込まれたのは人里離れた飯山トンネルだった。計測は若手が覚える地道な作業。朝・夜2回、合計150か所のポイントを計測しなければならなかった。ある日、計測を1か所忘れてしまった。すると小杉勝之にものすごく怒られてしまった。会議で職人たちが多重支保工法は本当にできるのか?と森田に詰め寄った。森田は「計測を積み重ねていけば必ずできる」と言い切った。林は「多重支保工法は自分の計測にかかっている」と胸が熱くなったという。林はみんなの仕事が終わったあとも自分が納得するまで計測を続け、山岳トンネルの仕事にのめり込むようになった。林が集めたデータは東京の解析チームに託された。小池真史は山全体の動きを予測するという初めての挑戦の武者震いした。大量のデータから山の動きが見えてきた。これで2本目のタイミングが図れるようなり工事は一気に動き出した。しかし想像だにしない落とし穴がこの山には隠れていた。
