2026年1月24日放送 19:30 - 20:50 NHK総合

新プロジェクトX
半世紀の悲願 北陸新幹線〜飯山トンネルを穿(うが)て〜

出演者
有馬嘉男 森花子 岡崎準 依田淳一 森田隆三郎 小杉勝之 林成浩 杉本憲一 土谷昭仁 高橋秀典 
(オープニング)
半世紀の悲願 北陸新幹線 飯山トンネルを穿て

北陸新幹線は年間990万人を運ぶ不屈の超特急。だが北陸新幹線開通には半世紀に渡る技術者たちの闘いがあった。最大の難関が全長22kmのトンネル工事だった。これは半世紀にわたる飽くなき挑戦の物語である。

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北陸新幹線
オープニング

オープニング映像。

半世紀の悲願 北陸新幹線 〜飯山トンネルを穿て〜
スタジオトーク

北陸新幹線は東京から長野を通り敦賀までを走っている。東京から敦賀までは575km。3時間8分で着く。建設は大自然との闘いだった。構想から開業まで50年もの時間を費やした一大プロジェクトだった。

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北陸新幹線敦賀駅東京駅碓氷峠
半世紀の悲願 北陸新幹線 難攻不落“魔の山”を掘れ

昭和39年、日本は新幹線の誕生に沸いた。東京から大阪を4時間で繋ぎ高度経済成長を支え大都市に豊かさと繁栄をもたらした。一方で北陸は取り残されていた。金沢から上野は特急でも8時間かかった。昭和35年12月、上野駅発急行「北陸」。乗客はふるさとで過ごす正月を楽しみにしていた。しかし大雪のため100時間かかって富山にたどり着いた。1万5000人が家族と新年を迎えることができなかった。「北陸にも新幹線を」これが人々の願いだった。昭和48年、田中角栄が日本列島改造論をぶち上げた。全国各地を新幹線で結ぶ構想が一気に動き出し山陽新幹線、上越新幹線、東北新幹線などが次々に開通した。高崎から北陸に向かうルートも浮上したが北アルプスの山々、切り立つ日本海の絶壁、そして豪雪。さらにルートは企業や人口が少なく赤字路線になると言われた。国は計画を凍結した。それでも北陸新幹線の実現を諦めてないものたちがいた。それが日本鉄道建設公団の技術者たちだった。鉄道公団は着工の許可を取り付けて見せると調査を続けていた。これまでに3本のルートが検討されてきた。まず検討されたのが長野からまっすぐ富山に向かうアルプスルートだったが工事は不可能だと判断された。次に検討されたのが白馬ルート。白馬ルートは地下水が抱負で大量の湧水が吹き出してくる可能性があり、無理だと判断された。その結果、最後に残されたのが東の端をぐるっと迂回するルートだった。しかしここにも大きな難関があった。長野から新潟に抜けるための全長22kmの飯山トンネル。だがここしかない。任されたのは岡崎準だった。ここらはあたらしく生まれた大地なので地盤が柔らかく脆かった。さらに近く変動で両側から潰され地層が波をうった。全長9kmの鍋立山トンネルは工事開始から20年経っても完成していなかった。飯山トンネルの長さはその倍以上あった。ボーリング調査は64本、試験的なトンネルは9本。規格外の調査で攻略の方法を探った。1991年、長野オリンピックの開催が決定し新幹線は長野までの延長が決まった。飯山ルートはまたも見送られてしまった。そんな中、次々とアイデアを出してくる若者がいた。それが依田淳一だった。依田っちは徹底的にシミュレーションし、採算を取るために駅の場所やルートを検討。経済効果は2.7兆円、建設費用を差し引いても十分な経済的価値が見込める予算案を作り上げた。さらに飯山トンネルの攻略法も見出した。トンネルを6つの工区に分割し同時に掘り進め工事期間を短縮する。1996年、北陸新幹線の建設計画を国に提出。その年の暮れ、北陸新幹線のプロジェクトが決まった。

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スタジオトーク

着工が決まるまで四半世紀、岡崎準は「嬉しかった。着工が決まるまで碓氷峠を100回は通りましたね」などと話した。長野から北陸へ向かおうとすると北アルプスの山々が立ちはだかっている。まず検討されたのが長野からまっすぐ富山に向かうアルプスルートだったが工事は不可能だと判断された。次に検討されたのが白馬ルート。白馬ルートは地下水が抱負で大量の湧水が吹き出してくる可能性があり、無理だと判断された。その結果、東の端をぐるっと迂回するルートしかなかった。しかしここにも難所があった。それが飯山トンネル付近の魔の山だった。魔の山は地層が横ではなく縦に連なっていた。トンネルを掘り進めるたびに様々な地層と向き合わなければならなかった。

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北陸新幹線富山駅敦賀駅東京駅碓氷峠長野駅飯山トンネル
半世紀の悲願 北陸新幹線 トンネル工事 切り札の技術

有馬嘉男は北海道新幹線の渡島トンネルにやって来た。ここではがんばんの種類、割れ目の多さ、湧水が出ている位置、水の量などを総合的にみながら掘り進めている。崩れる地盤を支えるのに欠かせないのが支保工法と呼ばれる技術。使われているのは幅12cm、重さ200kmの鋼鉄・支保工。この支保工をつなぎ合わせトンネルの内側に肋骨のように沿わせることで山の圧力を支えている。長さ2kmのトンネルを2000本の支保工が支えている。

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渡島トンネル
半世紀の悲願 北陸新幹線 動く“魔の山”新技術で挑む

1998円3月、新幹線プロジェクトが動き出した。開業目標は2012年。真っ先に工事が始まったのが飯山トンネルだった。鉄道公団のもとには日本を代表するゼネコン23社が集結。延べ65万人が導入された。6つに分けられた飯山トンネル。最も軟弱で地盤が悪かったのは木成工区。リーダーに指名されたのは大成建設の森田隆三郎。支保工で支えながら掘り進め開始当初は1か月で60mと順調に進んだ。しかし壁の向こうから不気味な音が聞こえ始めた。音の正体は可燃性のメタンガスだった。さらに鋼鉄の支保工が次々と破壊されてしまった。工事は停滞し月に10mしか進めなくなってしまった。苦戦を強いられる現場に剣持三平にやって来て、新技術の多重支保工法を教えた。2つ目の支保工を立てるタイミング。立てるのが遅れると1つ目の支保工が完全に破壊された。早すぎると緩衝材として機能せず地盤は動き続け2本目の支保工をも破壊した。タイミングを見極めるには山の動きを立体的に捉える新たなアプローチが必要だった。山に目印をつけその場所を毎日計測する。目印は日々数cm単位で内側へ動き続けた。これが山の動きだった。この動きを山全体で予測できないか。そのためには徹底的な計測で大量のデータを集めるしかなかった。計測を託されt尚が新入社員の林成浩だった。林はアクアラインなど都市インフラに憧れて入社した。しかし送り込まれたのは人里離れた飯山トンネルだった。計測は若手が覚える地道な作業。朝・夜2回、合計150か所のポイントを計測しなければならなかった。ある日、計測を1か所忘れてしまった。すると小杉勝之にものすごく怒られてしまった。会議で職人たちが多重支保工法は本当にできるのか?と森田に詰め寄った。森田は「計測を積み重ねていけば必ずできる」と言い切った。林は「多重支保工法は自分の計測にかかっている」と胸が熱くなったという。林はみんなの仕事が終わったあとも自分が納得するまで計測を続け、山岳トンネルの仕事にのめり込むようになった。林が集めたデータは東京の解析チームに託された。小池真史は山全体の動きを予測するという初めての挑戦の武者震いした。大量のデータから山の動きが見えてきた。これで2本目のタイミングが図れるようなり工事は一気に動き出した。しかし想像だにしない落とし穴がこの山には隠れていた。

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スタジオトーク

木成工区を任された時について森田隆三郎は「やってやろうというしかなかった」などと話した。普通野山は5mmほどしか動かないが、木成工区では70~80cmも動いたという。

半世紀の悲願 北陸新幹線 潜入!車両基地 豪雪に打ち勝つ

有馬嘉男と森花子は白山総合車両所を見学。新幹線は160万キロ走るごとに全てのパーツを分解し点検している。北陸新幹線の豪雪対策「スノープラウ」を紹介。これが雪を左右に蹴散らし雪の積もった線路でも時速200km近いスピードで駆け抜けられる。大雪の日には糸魚川駅のホームの下にスタッフが待機し車体の雪を落としている。

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半世紀の悲願 北陸新幹線 絶体絶命 崩落事故との闘い

2003年9月、依田淳一は長野県で所長となっていた。着工から5年、飯山トンネルの工事は順調に進んでいた。依田は地元市長を掘削現場に招待した。ところが2日後の午前3時、依田のもとに山が崩落したと電話がかかってきた。崩落したトンネルの先端部から地下水が吹き出し1km先まで浸水。作業員3名が泥水に飲まれ病院に搬送された。夜明けとともに依田は山に登ると直径30mくらいの穴が空いていた。崩落はトンネルの先端部で発生180m上の地上にまで達していた。落ち込んでいる依田に上司の剣持は「困難なときだからこそ手を動かそう」と伝えた。依田は粘り強く原因究明の調査を始めた。そして3か月、原因が見えてきた。事故現場の極狭い範囲に、水を通さない断層が縦に走っていた。この間に溜まっていた大量の地下水があり、事前の調査では見つけられず掘りぬいて抜いてしまった。土砂を取り除ければ崩落が連鎖していく恐れがあったため、反対側から掘るという作戦を提案。依田は反対側の工区を担当した熊谷組に頼み込んだ。復旧の計画を任されたのは杉本憲一だった。杉本は信頼している笹島建設の土谷昭仁に頼んだ。依田と杉本は復旧の計画を練り上げた。まずは水を抜きながら掘り進め、崩落現場の50m手前で特殊な薬液を使って緩んだ地盤を固める。1年以上かけて確実に固めたうえで堀り抜く計画だった。土谷はトンネルの最先端で指揮を取っていた。掘り進めると複雑な地層にぶち当たった。左側は脆い地質の砂岩、右は硬い泥岩。土谷は地質に合わせて重機を変えながら慎重に掘っていった。2006年1月、猛吹雪が襲った。飯山の最低気温はマイナス18℃。崩落現場まで残り100m。トンネルに掘った穴から薬剤を注入。すこしでも固まっていない場所があると崩壊の恐れがある。1年以上かけ地盤を固めていった。

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スタジオトーク

キャパを超えてるはどういうことだった?と聞かれ杉本憲一は「あれだけの規模は聞いたことがなかった。世界的にみてもほとんどない。ですから想像がつかずプレッシャーを感じた」などと話した。最前線に立っていた土谷昭仁は「作業員にケガさせたらいけない。腹決めないとみんなを守れない」などと話した。土谷昭仁は家族を犠牲にしてこの仕事を選んでいて、年に3回位しか帰れないという。

半世紀の悲願 北陸新幹線 飯山トンネルを穿て

2006年、記録的な大雪が飯山を襲っていた。崩落現場の工事は中断を余儀なくされた。その時、立ち上がったのが地元建設会社の福原初だった。福原は除雪や建設資材の運搬をかって出た。この地で生まれ育った福原。1970年、集落で病人が出ると大人たちが総出で隣町の病院までソリで運んでいた。福原たちの尽力で工事再開の目処が断った。固めた地盤を掘っていった。1か月後、反対側と繋がりトンネルが貫通した。熊谷組所長の高橋は崩落した工区の所長と手を握り合い、作業員たちに向かって両手を大きく振り上げた。9年7か月の時を経て全ての工区で工事が終わった。そして2015年3月14日、ついに北陸に新幹線がやって来た。

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スタジオトーク

トンネルを掘った先の光について土谷昭仁は「水平線から上がってくる太陽のような光」などと話した。依田淳一は「新幹線の全てが詰まったプロジェクトが北陸新幹線」などと話した。林成浩は「熊谷組さんが掘られたところを経験できるならやってみたいと思った」などと話した。

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半世紀の悲願 北陸新幹線 飯山トンネルを穿て

10年かけて掘り終えた飯山トンネル。新幹線はわずか6分で通過する。依田淳一は新入社員に対して自らの経験を伝え続けている。林成浩はリニア中央新幹線の南アルプストンネルで所長を務めている。土谷昭仁は正月に故郷に帰った。年に3回しかない家族との再会だった。

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(エンディング)
次回予告

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