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「笹島建設」 のテレビ露出情報

2003年9月、依田淳一は長野県で所長となっていた。着工から5年、飯山トンネルの工事は順調に進んでいた。依田は地元市長を掘削現場に招待した。ところが2日後の午前3時、依田のもとに山が崩落したと電話がかかってきた。崩落したトンネルの先端部から地下水が吹き出し1km先まで浸水。作業員3名が泥水に飲まれ病院に搬送された。夜明けとともに依田は山に登ると直径30mくらいの穴が空いていた。崩落はトンネルの先端部で発生180m上の地上にまで達していた。落ち込んでいる依田に上司の剣持は「困難なときだからこそ手を動かそう」と伝えた。依田は粘り強く原因究明の調査を始めた。そして3か月、原因が見えてきた。事故現場の極狭い範囲に、水を通さない断層が縦に走っていた。この間に溜まっていた大量の地下水があり、事前の調査では見つけられず掘りぬいて抜いてしまった。土砂を取り除ければ崩落が連鎖していく恐れがあったため、反対側から掘るという作戦を提案。依田は反対側の工区を担当した熊谷組に頼み込んだ。復旧の計画を任されたのは杉本憲一だった。杉本は信頼している笹島建設の土谷昭仁に頼んだ。依田と杉本は復旧の計画を練り上げた。まずは水を抜きながら掘り進め、崩落現場の50m手前で特殊な薬液を使って緩んだ地盤を固める。1年以上かけて確実に固めたうえで堀り抜く計画だった。土谷はトンネルの最先端で指揮を取っていた。掘り進めると複雑な地層にぶち当たった。左側は脆い地質の砂岩、右は硬い泥岩。土谷は地質に合わせて重機を変えながら慎重に掘っていった。2006年1月、猛吹雪が襲った。飯山の最低気温はマイナス18℃。崩落現場まで残り100m。トンネルに掘った穴から薬剤を注入。すこしでも固まっていない場所があると崩壊の恐れがある。1年以上かけ地盤を固めていった。

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