TVでた蔵トップ>> キーワード

「北区(広島)」 のテレビ露出情報

母の被爆体験を語り継ぐために研修をうける一人の女性の八木慶子さん。八木さんが語り継ごうとしているのは、母の被爆体験と平和への思い。聞くことができるのは自分しかいないとそう考えている。母・喜代子さんがあの日を迎えたのは16歳のときで、父親の看病のために自宅にいたが、喜代子さんの家は一瞬にして倒壊し、遠のく意識のなかで父の叫ぶ声が聞こえた。父親と2人で助けを求めてさまよい救護所となっていた小学校で命を救われた。そうした辛い記憶は広島の人がそうしてきたように自ら語ることはなかった。あの日から79年が経過し、封印していた広島の記録を母は静かに語り始めた。いくら時を重ねても拭えないつらい過去に喜代子さんはあまり話したくないと答えた。母の心を開いたのは平和を考える娘の強い思い。
八木さんが始めて母の被爆体験を語る日に母の喜代子さんも一緒に訪れた。口にしたのは娘の心配だった。そして語り部として語る時間がやってきた。語りを終え、母から娘へ確かな一歩を踏み出した。この日洋さんが出迎えたのは、亡き父の浩史さんの被爆体験を語り継ぐ被爆伝承者。向かったのは世界遺産の島の宮島。この島には戦争当時に父とその妹の瑤子さんが住んでいた家があるという。書籍の森脇瑤子の日記の中で浩史さんは瑤子さんとの思い出について2人が戦時中に暮らしていた場所だという。その場所を洋さんは2人をもっと知りたいと初めて訪れた。その思い出の場所を伝承者たちと思いをともにした。父の原点に少しだけ触れることができたという。
5月上旬に、洋さんの元を訪ねると、そこには瑤子さんの防空頭巾が。父の遺品を整理していた時に見つかったものだという。父が亡くなった今だからこそその人生に向き合っている。古い一冊のアルバムには瑤子さん幼い時の写真などがあった。しかし被爆者の思いは今踏みにじられようとしている。ウクライナやイスラエルでは武力によって市民の命が失われる事態が続いている。さらにアメリカは核爆発をともなわない核実験を敢行し、平和公園では被爆者等が強く講義した。原爆資料館の最後の核実験からの時間指数はリセットされた。2023年に行われたG7広島サミットの影響もあり連日に多くの人が訪れる原爆資料館。2023年度の来館者は198万人を越えて過去最多を記録した。その一方で、資料館の地下フロアは閑散としている。毎日四回伝承者の講話が行われるが人はまばらで、資料館で行われた講話の回数は1379回でこれまででもっとも多かったものの、聞きに来た人の数は2018年度のピークと比べ5000人ほど減っている。また参加者数の平均は講話一回に対し10人ほどで3分の2が空席で、誰も聞きに来なかったケースは33回にも及ぶ。洋さんもこの現状に不安を感じている。この日の洋さんの講話も集まったが空席は目立っていた。資料館の担当者も頭を抱えている。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.