故郷は福井県越前市で、子どもの時からおしゃべりが好きだったという。中学校は卓球部とバドミントン部しかなかったが、学校の駅伝大会などで走る面白さに目覚めたという。高校は陸上の強豪である美方高校を選び才能を開花され、前田監督にスカウトされ國學院大學に入学すると、1年生から箱根駅伝のメンバーに入った。9区で5人抜き区間2位のデビューを果たし、2年生では各大学のエースが集まる「花の2区」へ抜擢され6人抜きの國學院の総合4位に貢献した。
今年も2区を任された。レースの前日、北陸を能登半島地震が襲った。平林選手は区間賞を取った選手が受けるインタビューで北陸にエールを送ると心に誓った。17位でタスキを受け8人抜きで戸塚中継所では9位でタスキを渡したが、区間3位であった。
現役の箱根駅伝ランナーがマラソンで優勝したのは瀬古利彦さん以来で、早稲田大学のエースとして箱根駅伝で4年連続2区を任され、大学3年生で福岡国際マラソンで優勝した。大学生だと箱根駅伝が主軸でマラソンの練習ができないため、両立が難しいという。瀬古さんは平林選手について教科書に載るフォームとした。
今年も2区を任された。レースの前日、北陸を能登半島地震が襲った。平林選手は区間賞を取った選手が受けるインタビューで北陸にエールを送ると心に誓った。17位でタスキを受け8人抜きで戸塚中継所では9位でタスキを渡したが、区間3位であった。
現役の箱根駅伝ランナーがマラソンで優勝したのは瀬古利彦さん以来で、早稲田大学のエースとして箱根駅伝で4年連続2区を任され、大学3年生で福岡国際マラソンで優勝した。大学生だと箱根駅伝が主軸でマラソンの練習ができないため、両立が難しいという。瀬古さんは平林選手について教科書に載るフォームとした。