北海道のアイヌによる狩猟や東北地方のマタギによる狩猟があったが、クマを絶滅に追い込む個体数に影響を与えるものではなかったという。一番大きいのは森林を切り開いて農耕地化・市街地化していきクマの住処が減っていったことであった。クマの捕獲数は右肩上がりに増えていき、1950年代の後に起きた決定的なことは1962年に北海道の十勝岳が噴火して大規模な降灰が起きたという。これによってクマの食べ物が失われ、沢山のクマが人里に出没して家畜を襲ったり自衛隊が出動して子どもの通学をサポートしていた。1966年に北海道で「春グマ駆除」を開始し、 北海道以外では別の理由でクマによる被害が増えていた。当時安定した木材供給を目的として全国的に植林が進められていたが、クマによって「木」が被害にあっていた。針葉樹の外皮を剥ぎ木と皮の間にある形成層を食べるクマ剥ぎが起き、材質が悪化して売り物にならなくなっていた。そのため林業関係者がクマを害獣とみなし駆除が進んでいったという。1950年代と70年代を比べると捕獲数は2倍になっていた。
