市川團十郎白猿が山梨県市川大門地区でダーツの旅。歌舞伎文化公園を訪れた。甲斐上野城は資料の展示や展望台、多目的ホールを備える施設。併設する歌舞伎文化資料館には歌舞伎の台本や衣装などが展示されていて歌舞伎の歴史を深く知ることができる。市川宗家とこの町の繋がりは初代市川團十郎のさらに曽祖父にまで遡る。武田信玄の家臣だった堀越十郎家宣が北条家との戦で手柄を立て土地を与えられたのが現在公園があるこの場所。だが武田軍が敗れ現在の千葉県へ逃れる。その後、重蔵の息子・蝦蔵が役者の世界へ飛び込んだ。歌舞伎文化公園の設立と発展に尽力したのが十二代目市川團十郎で甲斐上野城の建設も監修した。外観には当時の歌舞伎座のデザインが取り入れられている。市川團十郎発祥の地の碑は市川宗家が信仰する成田山新勝寺の方角に向けて建てられた。石碑の周囲にはぼたんの花が植えられており毎年4月下旬に見頃を迎える。團十郎来訪の知らせを受けて市川三郷町長が駆けつけてくれた。初めて顔の隈取をしたのは初代市川團十郎と言われている。
市川團十郎は「日本基督教団 市川教会」を訪れた。この日不在だった牧師・西川良三さんは元教師で高校時代に團十郎に英語を教えていたという。夫婦揃って牧師を志し定年前に退職、5年前から市川教会に仕えている。続いて声をかけたのは女子中学生たち。音楽の授業で市川團十郎のことを勉強したという。
市川團十郎は「日本基督教団 市川教会」を訪れた。この日不在だった牧師・西川良三さんは元教師で高校時代に團十郎に英語を教えていたという。夫婦揃って牧師を志し定年前に退職、5年前から市川教会に仕えている。続いて声をかけたのは女子中学生たち。音楽の授業で市川團十郎のことを勉強したという。
