新潟の山田ゆりさん(仮名)は、震災前は夫ともに3人の子供を育てていた。しかし、原発事故の警戒区域に住んでいたことから緊急避難をすることに。夫は仕事のため福島に残った。長男の誕生日を避難先で4人でお祝いした。10か所目の避難先として、今住んでいる新潟のマンションに入居した。しかし、あくまで福島に戻ることが前提だった。現在、福島・南相馬市に1人で暮らす長男・かずきさんは、当時避難先から福島に戻ることばかり考えていた。すぐに戻れない現実を目の当たりにした。防護服を着て自宅に戻った時、津波家花がされ、草木が生い茂っていた。2014年3月、かずきさんは新潟の高校で卒業式を迎え、今後は自分の意思でこれからのことを決めていきたいと考えた。そのタイミングで避難生活の区切りをつけ、福島の大学に進学し県内で就職した。5年前、3男が進学のため東京に行ってから、ゆりさんはひとり新潟で暮らしている。ゆりさんはまだ避難生活をしている認識で、地元・福島に戻りたい気持ちがあるが、こどもたちが帰れる場所をちゃん作りたいという。