終戦後、過酷な労働を強いられ、およそ5万5000人が亡くなったとされるシベリア抑留では、これまでにおよそ2万2000人分の遺骨が収容され、国は身元を特定する作業を続けている。このほど1人の男性の遺骨が、佐賀県に住む遺族のもとに帰ってきた。西村正紘さん83歳。遺骨は叔父・西村壽弥男さんのものだった。壽弥男さんは旧制中学を卒業後、地元の小学校で教壇に立っていた。17歳年下の正紘さんを可愛がる、優しい人だったという。太平洋戦争末期に召集され、中国大陸に出征。その後、ふるさとに戻ることはなかった。終戦から数年後、中国大陸で亡くなったと聞かされ、詳しいことが分からないまま葬儀を挙げていた。壽弥男さんに関する情報が正紘さんのもとに寄せられたのはおととし。
国の調査で、シベリアの埋葬地から収容された遺骨の中に壽弥男さんのものが含まれている可能性があることが分かった。確認のため、正紘さんはDNAのサンプルを提供。遺骨との照合が進められることになった。シベリアに抑留され、亡くなった人の身元を特定する作業を行っている厚生労働省。平成3年から始まったロシア政府からの資料の提供をもとに分析を続ける中、壽弥男さんにつながる記載を確認。遺族への連絡につながった。そしてことし4月、鑑定の結果、壽弥男さんの遺骨がシベリアのイルクーツク州にある埋葬地で見つかった342人分の遺骨の中にあることが確認された。21歳の若さで亡くなっていた。80年ぶりにふるさとに戻った壽弥男さん。そこには帰りを待ちわびていた家族がいた。正紘さんは「生まれた家に帰ってきて、ゆっくりしてくださいというのがすべてです」と述べた。
国の調査で、シベリアの埋葬地から収容された遺骨の中に壽弥男さんのものが含まれている可能性があることが分かった。確認のため、正紘さんはDNAのサンプルを提供。遺骨との照合が進められることになった。シベリアに抑留され、亡くなった人の身元を特定する作業を行っている厚生労働省。平成3年から始まったロシア政府からの資料の提供をもとに分析を続ける中、壽弥男さんにつながる記載を確認。遺族への連絡につながった。そしてことし4月、鑑定の結果、壽弥男さんの遺骨がシベリアのイルクーツク州にある埋葬地で見つかった342人分の遺骨の中にあることが確認された。21歳の若さで亡くなっていた。80年ぶりにふるさとに戻った壽弥男さん。そこには帰りを待ちわびていた家族がいた。正紘さんは「生まれた家に帰ってきて、ゆっくりしてくださいというのがすべてです」と述べた。