ストライキもすぐに解除されバスケ部も大会に向け練習をしていた。バスケ部を率いるのは和中裕輔監督。学校で体育を教える教師。全国大会出場を目指しレベルの高い練習をこなす。ストライキから1ヶ月後の2022年6月、食堂にはご飯がなく朝食は菓子パン1個。食堂の運営は外部に発注していたのだが、度重なる料金遅延に加え物価高に合わせ値上げを訴えたが学校経営陣が応じず。夕食もかなり質素に。酒井くんはこのとき母親にLINEを送っている。食費はしっかり支払っているのにと保護者からクレームが殺到。監督も寮長や食堂の人と話し合ったが解決せず。この間にも授業は行われ激しい練習も。改善されず2週間が経った日、応急処置として保護者会が炊飯器と米を送る事態に。次に彼らを襲ったのが水道管が老朽化し、水漏れし始めた。経営難を理由に築30年以上の校舎を点検・修繕工事を行っていないツケが回ったのだ。そしてトイレの天井が抜け大量の水が。屋上に貯水タンクがあるのだが老朽化によりメーターが誤作動を起こし水が止まらなくなりタンクから溢れ出した。先生たちは業者を入れず出来る範囲で校舎の修繕を行った。どうしても出来ないところは修繕を願い出ていたが経営陣からは拒否された。しかしバスケ部の生徒たちは全国大会出場という同じ夢に向かって前向きに頑張っていた。酒井くんが入学して3か月後、部員たちに変化が起こる。保護者たちは我が子のために転校先を探し始めていた。3年生・2年生はなんとか踏ん張っていたが、14人いた1年生は次々に転向していった。
夏休みになり部活も1週間の休み。酒井くんも久しぶりに実家に帰省。母は在籍していたクラブチームのコーチを訪ね相談していた。いつ学校がなくなってもおかしくない状態だが、全国大会出場を誓い合い頑張ってきた酒井くん。休みが終わり学校に戻ると同級生が少なくなっていた。ねんと14人いた1年生部員は7人になっていた。休みの間、親と話し合い多くの生徒が転校したのだ。
夏休みになり部活も1週間の休み。酒井くんも久しぶりに実家に帰省。母は在籍していたクラブチームのコーチを訪ね相談していた。いつ学校がなくなってもおかしくない状態だが、全国大会出場を誓い合い頑張ってきた酒井くん。休みが終わり学校に戻ると同級生が少なくなっていた。ねんと14人いた1年生部員は7人になっていた。休みの間、親と話し合い多くの生徒が転校したのだ。