1940年、日中戦争と戦時下になった日本。当時の小学一年生では「ヂライ」として爆撃の様子を絵を用いて解説していたなどと明石らが紹介。須田らは日中戦争勃発後に政府が国民を戦争体制に全面的に協力させるために国民精神総動員運動を実施していたため、子供向け雑誌にこうした軍事的な記事が掲載されていることが時代の雰囲気が反映し、雑誌が子供向けのニュース雑誌としての役割も果たしていたなどと解説した。1942年に出版された「良い子の友」では国のために兵隊になって戦いに勝つためにが目的にした編集方針で記事が作られていたなどと話した。