1945年8月、人類史上初めて市民の頭上に投下された原子爆弾。国からの支援はなく被爆者たちは差別や偏見に苦しんだ。18歳の時に被爆した阿部さんは右半身を大やけどし顔などにケロイドが残った。被爆者たちが声を上げるきっかけとなったのは1954年、アメリカが行った水爆実験で第五福竜丸の乗組員が被爆したことだった。阿部さんら被爆者たちは救済を求めて国に直訴。1956年、日本被団協が結成。しかし東西冷戦の最中で核兵器の開発競争は激化。核兵器の廃絶を訴えるため被爆者たちが苦しい体験を証言する中で突きつけられたのは核大国アメリカとの埋めがたい溝。対話の道を探ったのは前代表委員の坪井さん。アメリカ人から「戦争で傷ついたのはアメリカ人も同じ」という言葉をかけられ、自らの怒りと向き合うきっかけになったという。2017年、核兵器禁止条約が採択される。条約には被爆者が受けた苦しみに留意すると記された。