須走の町は江戸時代、70軒ほどの家が建ち並んでいた。この町は昔から富士登山者を支える町として発達してきた。江戸時代、富士登山者を支える御師の家が17軒あった。富士山の御師とは古くから富士山を侵攻する登山者のお世話をする人たちのこと。2016年、タモリらは山梨・富士吉田市にある現役の御師の家を訪ねた。江戸時代には富士講というグループによる富士登山が一大ブームになった。御師は富士山を目指す人達にとっては欠かせない存在だった。須走ではかつて御師だったお宅が旅館を営んでいる。それがこの「旅館大申学」だった。約100年前の「旅館大申学」の写真を紹介。江戸時代多いときには1年に2万3000人もの登山者が須走から富士山を目指したという。須走は町の上に町を作ったと言われている。宝永噴火のとき軽石やスコリアが16日間かけて徐々に降り積もった。それを掘り起こしたりはせず、その上に作ったのがいまの町と伝えられている。2019年に出来た道路。事前の発掘調査で柱の跡が出てきた。この発見で、町のしたには本当に村が埋まっているということが初めて証明された。2022年、スーパーを作る時の発掘調査では鍋や急須などが出てきた。幸いなことに死者や行方不明者が出たという記録はないという。
住所: 東京都千代田区永田町1-10-1
URL: http://www.ndl.go.jp/
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