- 出演者
- タモリ 佐藤茉那
今回の舞台は富士山。タモリらは須走口の5合目にやって来た。案内してくれるのは小山真人さん。これまでブラタモリでは6回にわたって富士山を取り上げてきた。どんなところに行ったのか、模型を使っておさらい。これまでたタモリらは富士山本宮浅間大社や樹海、山頂などに行ってきた。こうしてみると、東側に行ってないことに気づいた。この10年で研究の分野で富士山の新しいことがわかってきた。「富士山はなぜ美しい?」「人は第分科とどう向き合った?」「富士山はなぜ誕生したのか?」この3つ謎を解き明かし、なぜみんな富士山が大好きなのかを考えていく。
オープニング映像。今回は「富士山スペシャル」。人はなぜ富士山が大好きなのか?その真相に迫る。
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- 富士山山口県立萩美術館・浦上記念館
富士山の美しさの秘密を探るため、タモリらは自衛隊富士学校を訪れた。遠藤宏範3等陸佐が東富士演習場まで案内してくれる。東富士演習場は本州で一番大きな演習場になっていて山手線がすっぽり入る大きさがある。タモリは24歳くらいの時、1週間、自衛隊に体験入隊したことがあるという。小型車両に乗ること20分、タモリらは演習場の中にある林にたどり着き歩いていくと、大きな割れ目が見えてきた。ここは富士山グランドキャニオンと呼ばれている。この谷は長さ1km、深さ最大60m。この谷は雪代に寄ってできたもの。富士山に積もった雪のギザギザは雪代が谷間を流れ下ることでできるという。富士山の美しい雪化粧は雪代のおかげだった。誰もが思う富士山の美しさは端正な裾を広げて周りに邪魔するものがない独立峰。その姿に人々は心を奪われてきた。富士山は2900年前、新富士と古富士の2つがあった。しかし古富士だけが原因不明の山体崩壊を起こした。残った新富士は何度も噴火を繰り返し、現在の姿となった。富士山グランドキャニオンは古富士の崩れ残しの一部だという。宝永山は10年前、富士山の中に埋もれていた古富士の一部が顔を出したものという説だった。最新の研究で宝永山では古富士ではなく、江戸時代の噴火で降り積もったものでできていることがわかった。2018年に台風が来て全部崩れたのを洗い流してくれて判明したという。
タモリらは富士グランドキャニオンの崖沿いを移動。すると顔つきや色合いが違う地層が出てきた。この地層が古富士が山体崩壊したときの地層だという。地層の一番上は黒くなっている。これが宝永噴火のスコリア。その下は茶色と黒のしましま。黒いのはスコリアで、茶色の土。年代的には2000年~900年程前くらい。その間にも富士山は何度か噴火したことがわかる。その下の真っ黒い地層は2300年前の最後の山頂の大噴火。その下にも繰り返し噴火した層がある。
人は大噴火とどう向き合ったのかを調べるため須走の町にある東口本宮冨士浅間神社にやって来た。東口本宮冨士浅間神社は2013年、富士山とともに世界遺産に登録された。西暦802年、富士山の東側が爆発し、その時に鎮火祭を行った場所に、この神社が建ったといわれている。ご本殿に対して左に伸びていく道があり、この道が登山道の一部で出発点になっている。神様を祀るのに、社殿は周りよりも低い建てられている。これは人工的に掘られた場所に社殿を建てたから。宝永噴火で元あったものが埋まってしまった。宝永噴火では爆発的な噴火が16日間も続き火口から出た噴出物が麓の集落に降り注いだ。その振動、火山灰は約100km離れた江戸にも届いたという。もっとも噴出物が厚く降り積もったのが須走だった。スコリアが3m積り、社殿が埋まってしまったので、社殿の部分だけを掘り起こし、社殿を新たに建てた。その掘り起こしたスコリアが社殿の周りにあり高くなっている。
須走の町は江戸時代、70軒ほどの家が建ち並んでいた。この町は昔から富士登山者を支える町として発達してきた。江戸時代、富士登山者を支える御師の家が17軒あった。富士山の御師とは古くから富士山を侵攻する登山者のお世話をする人たちのこと。2016年、タモリらは山梨・富士吉田市にある現役の御師の家を訪ねた。江戸時代には富士講というグループによる富士登山が一大ブームになった。御師は富士山を目指す人達にとっては欠かせない存在だった。須走ではかつて御師だったお宅が旅館を営んでいる。それがこの「旅館大申学」だった。約100年前の「旅館大申学」の写真を紹介。江戸時代多いときには1年に2万3000人もの登山者が須走から富士山を目指したという。須走は町の上に町を作ったと言われている。宝永噴火のとき軽石やスコリアが16日間かけて徐々に降り積もった。それを掘り起こしたりはせず、その上に作ったのがいまの町と伝えられている。2019年に出来た道路。事前の発掘調査で柱の跡が出てきた。この発見で、町のしたには本当に村が埋まっているということが初めて証明された。2022年、スーパーを作る時の発掘調査では鍋や急須などが出てきた。幸いなことに死者や行方不明者が出たという記録はないという。
2015年、タモリが挑んだ富士山頂の軌跡を振り返った。九合五勺の標高は3590m。あと200mほどで山頂に着くが、ここからが最も険しく苦しい道になる。無言で登りようやく山頂にたどり着いた。山頂にたどり着いた人々はまず富士山頂上浅間大社奥宮で登山の無事を報告する。白装束に押してもらえる御朱印は江戸時代から続いている。タモリらは火口を見学し、剣ヶ峰まで移動。剣ヶ峰は日本で一番高い場所。タモリらは剣ヶ峰でカップラーメンを味わった。
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- 剣ヶ峰富士山富士山頂上浅間大社奥宮
富士山はなぜ誕生したのか。まだ十分には解明できていない。タモリらは須走から車で30分のほどの山の中にやって来た。そこにあったのが「神縄断層」だった。この断層は伊豆半島衝突の現場。伊豆半島が本州に衝突した。200万円前は本州と伊豆半島は80kmほど離れていた。60~20万年前に伊豆半島と本州が衝突。衝突したときにフィリピン海プレートは伊豆半島が障害物となりプレートが左右に裂けてしまった。富士山のしたにはフィリピン海プレートの存在が確認できていないという。そのためフィリピン海プレートは左右に裂けたのではないかと考えられている。これが富士山の誕生と関係している。富士山の火山活動となるマグマは地下の太平洋プレート近くで作られる。富士山の地下でフィリピン海プレートが裂けたことにより、大量のマグマをためられる空間ができたのではないかと考えられている。フィリピン海プレートがつながっていると富士山の特殊性が説明できなくなる。富士山の特殊性は10万年という短期間に大量のマグマが出て巨大な火山を作ったこと。もう1つはマグマの成分が玄武岩。この2つの特殊性を説明するためには地下20kmより深い場所に巨大なマグマ溜まりを考えるしかない。富士山はほぼ関東平野全域から見ることができる。このことも富士山が愛されるようになった1つの原因となっている。
エンディング映像。
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