- 出演者
- タモリ 佐藤茉那
東京・渋谷の宮益坂からスタート。案内してくれるのは深澤太郎さん。大山街道は江戸時代の旅人が大山詣りに向かった道。今回の目的地は神奈川・伊勢原市にある大山。タモリらはスタート地点の神社で安全を祈願した。
オープニング映像。
タモリらは、渋谷駅近くで一番高いビルの最上階へ移動し、江戸っ子がなぜ大山を目指したかを探った。渋谷から大山までは約65km。大山は箱根の関所を通らなくても行けるので、人気だったという。
タモリらは2階建てバスに乗り移動。道玄坂は江戸時代の人たちが最初に出会う難所だった。三軒茶屋を通り、多摩川を渡った。江戸時代、人々は船で多摩川を渡っていった。多摩川を超えると大山まではあと50キロほど。江戸時代の人たちは途中の宿場で一泊し大山を目指した。
タモリらは神奈川・伊勢原市にやって来た。歩いていると目黒久仁彦さんと合流。江戸時代の旅人は大山に登る前にふもとの宿坊で1泊していた。この宿坊を営んでいたのが御師と呼ばれていた人たち。御師は参拝客をお世話するだけではなく、江戸に赴き積極的に大山をPRしていた。その結果、江戸っ子たちの間では大山詣りをするのが粋だねという空気になった。江戸が終わると、明治政府によって御師は全国的に廃止される。しかし「先導師」と名前を変え参拝客をもてなし続けた。
タモリらは宿坊の町を訪れた。江戸時代には160軒近くの宿坊があった。いまでも40軒ほど宿坊が残っている。タモリら江戸っ子が泊まった宿坊を訪れた。先導師・佐藤大住さんが宿坊を案内してくれた。現在、多い時で60人ほどが宿泊するという。宿の壁には板まねきが貼られていた。板まねきには宿泊する講の名前や、所属する人の名前が書かれている。大山詣りは、宿坊での夜の宴会も楽しみの1つだった。タモリらは名物の「大山豆腐」を味わった。大山では大豆を作っていない。お参りする人たちが奉納するために大豆を持ってくるという。さらに宿代が払えない代わりに大豆を渡す人もいた。翌日、出発前に江戸っ子たちは宿坊にある神殿でお祓いを行う。お祓いをするのが先導師だった。タモリらは行衣に着替え、お祓いをしてもらった。
エンディング映像。
ブラタモリの番組宣伝。