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「国立歴史民俗博物館」 のテレビ露出情報

小中学生対象の2022年の七夕の願い事ランキングを紹介。1位は恋愛関連、2位は勉強・受験、3位はコロナ関連となっていた。国立歴史民俗博物館の山田慎也さんが各地の七夕行事を解説。新潟県糸魚川市の「根地の七夕」は人形と船を作って七夕流しということで自分の厄を乗せるというもの。富山県滑川市の「ネブタ流し」は重要無形民俗文化財に指定されている。いかだの上の松明に刺さっているナスやきゅうりは形代の役割で、流すことで厄払いや無病息災を願う。山口七夕ちょうちんまつりで灯されるちょうちんは約10万個。室町時代にこの地を治めていた大名が、先祖の冥福を祈ったのが始まりだという。どの行事も現在も行われている。元々七夕は中国から伝わってきた五節句という季節の節目の行事が始まりになっている。江戸時代には幕府によって公式行事とされた。笹に短冊を飾る週間は江戸時代の寺子屋文化から始まった。子どもたちが書を学ぶ一環だった。NHKに残されている中で最も古い仙台の七夕まつりの映像を紹介。昭和10年頃の映像で、明治から大正にかけて廃れていたが昭和2年に不景気を吹き飛ばそうと復活した。昭和36年の映像ではパレードも行われていた。
新日本風土記の映像。仙台のアーケード街にたくさんの竹が運び込まれた。地面には竹を差し込む穴があり年に1度このときだけ開けられる。この竹を飾り付けて行われるのが仙台七夕まつりで、3000本の飾りが街を彩る。仙台市内の紙問屋では5000あまりの飾りを作っている。現在は飾り作りの殆どが業者任せになっているが、昭和24年創業の文具店では手作りにこだわっている。仙台の七夕に街の人は様々な願いを込めてきた。七つ飾りという吊るしものの数々には意味があり、巾着という飾りは富を願い商売繁盛を祈る。屑籠はものを粗末にしない心がけを説くもの。紙衣は裁縫と技芸が上達するという願いがあり、子供が丈夫に育つようにという形代の意味もある。8月6日、3日間にわたる七夕まつりの始まり。趣向を凝らした飾りが店の中から続々と運び出される。他にも吹き流しは裁縫の上達、折り鶴は長寿、投網は大漁祈願などの意味が込められている。7月7日はそうめんの日でもあり、七夕の給食では多くの学校でそうめんが出されているという。元々中国で7月7日に索餅という食べ物を食べる習慣があり、それが日本でそうめんを食べることが七夕の行事の食事として浸透していった。
住所: 千葉県佐倉市城内町117
URL: http://www.rekihaku.ac.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月2日放送 16:48 - 19:00 テレビ朝日
スーパーJチャンネル(ニュース)
千葉・佐倉市の佐倉城址は雨でも楽しめる全天候型の桜スポット。注目は桜屏風。公園隣接の国立歴史民俗博物館の館内から見られるのが満開の桜は玄関の奥には巨大なガラス窓があり屏風のように仕立てられたガラス1枚1枚に桜が写り込む。入館料は600円で高校生異界は無料ということ。

2025年4月1日放送 20:55 - 22:00 TBS
マツコの知らない世界(マツコの知らない吉原遊郭の世界)
吉原を作ったのは庄司甚右衛門。1603年江戸幕府誕生とともに江戸に華を添えたのが遊女屋。遊女屋は、新興都市の景気を上げると共に、街の治安コントロールにとっても大切な場所だった。そこに目をつけた遊女屋の代表格庄司甚右衛門は、幕府に提案し、幕府公認の色街建設の許可を得る。それが吉原遊郭。人形町あたりではじまり、その後千束に場所を移し、大遊戯場として300年の歴史[…続きを読む]

2024年12月31日放送 12:15 - 13:00 NHK総合
もうすぐ放送100年!大みそかスペシャル(もうすぐ放送100年!大みそかスペシャル)
小林よしひさ、横山由依が東京スカイツリー展望デッキフロア350から中継で現地の様子を伝えた。横山由依は紅白歌合戦に過去11回出演している。小林よしひさは特別枠で2回出演しているとのこと。スカイツリーに飾ってある江戸一目図屏風と景色を紹介しこの高さからの眺めのようだと話した。「大河ドラマ べらぼう」を紹介、浮世絵に描かれた江戸の風景を探しながら中継をするとのこ[…続きを読む]

2024年12月1日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
福岡県久留米市の金子さんは、砂のコレクターで、これまで50カ国あまりを訪れ、各地の砂を持ち帰っている。依頼品は、加藤清正の兜だ。亡くなった父が知人から借金のカタとして預かったものだという。戦国時代に登場するのが変わり兜。1543年に、種子島に鉄砲が伝来し、戦が集団戦法に変わると、頭を保護する兜の需要が急速に高まり、作りを簡略化した兜が大流行する。武将らは、戦[…続きを読む]

2024年11月29日放送 0:25 - 0:55 フジテレビ
私のバカせまい史数字の「4」迫害史
「4」はいつから迫害され始めたのか。国立歴史民俗博物館名誉教授の新谷先生いわく、平安時代に漢字が普及すると四を「し」と読むところから敬遠するようになったという。さらに、平安京では人口集中により春から梅雨にかけて疫病が流行、死者が大量発生したことで、「死」を連想させる「4」は不吉な数字として嫌われたという。江戸時代には落語で「しの字嫌い」という演目が誕生したり[…続きを読む]

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