奈良・天理市の石上神宮は古事記、日本書紀に記述があり、ヤマト王権の宝物が数多く収蔵されていた。「七支刀」もその1つで、最新装置で調査が行われた。鉄とサビを判別したところ、サビに覆われた「禾」が判読できた。七支刀は泰和四年、369年に百済で作られた可能性がある。当時、朝鮮半島では高句麗が勢力を伸ばしていて、歴史書には「2万の軍勢で百済に侵攻した」と記されている。百済はヤマト政権に着目し、同盟の証として七支刀が造られたという。百済のあった地域では大量の鉄が見つかっていて、刀鍛冶のウンチョル氏は2010年、七支刀の復元に挑んだ。百済が培っていた技術はトップクラスといえるという。
