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「基隆(台湾)」 のテレビ露出情報

大戦を生き抜き台湾へ戻った日本兵たちを待ち構えていたのは中国から渡ってきた国民党政権による弾圧であった。台湾・桃園で暮らす元日本兵の簫錦文はインパール作戦に参加し、戦争はやるものではないと感じたのだと明かした。簫は戦後台湾に戻ると日本に替わって台湾を統治していた蒋介石総統率いる国民党政権に監視された。新聞記者となり政治的記事も書いていた簫はある日に突然拘束され、処刑場に向かう途中で当局の方針が変わり九死に一生を得た。簫は多くの日本兵たちが迫害された中でも日本政府は何もしてくれなかったのだなどと明かした。台湾南部にある緑島はリゾート地として内外で観光客から人気を博しているが、かつては政治犯の島と呼ばれ、多いときには2000人以上が政治犯として収容されていた。国民党独裁下における人権弾圧を「白色テロ」と呼び、弾圧は民主化される1990年代まで続いた。50年代の収容所を復元した政治犯収容所跡には植民地時代の文化を国民党が「遺毒」と呼び、その一掃を図り、日本式の教育を受けた知識人である元日本兵が弾圧の対象となった事実が資料として残されている。台湾・基隆で暮らす楊馥成は戦時中にはシンガポールの補給部隊に配属されていた。終戦後に台湾に戻った楊は国民党の腐敗ぶりに絶望し、日本への密航を企てるも失敗して逮捕された。楊は台湾生の日本人だとし、2022年1月に日本政府を相手取って日本国籍の有無確認を求める裁判を起こしたが、翌年に訴えは棄却された。楊はこれを棄民だと考えている。白色テロの時代、1947年2月にその発端となった二二八事件が発生し、高圧的な国民党に対して台湾の人々の怒りが爆発した。台北にある二二八紀念館は二二八事件当時はラジオ局であり、事件の発端は闇タバコ売りの女性に対し政府の取締官が力尽くでタバコを取り上げた些細な出来事であり、当時のタバコ売りには生活に困窮した元日本兵が多かったという。騒動の混乱の中で警察官の発泡した弾丸により死者が出ると、人々はラジオ局を占領して決起を呼びかけ、怒りの声は台湾全土に広がり、国民党軍の介入により短期間で民衆は鎮圧され、二二八事件により死者は1万8000人から2万8000人となった。
台湾中央部の景勝地である阿里山には二二八事件で処刑された元日本兵の息子である湯進賢が暮らしている。湯の父である元日本陸軍少尉・湯守仁は二二八事件などの反乱を企てたとして銃殺され、シベリア抑留者の一人であった。抵抗運動には湯守仁のような戦闘経験者が多くの元日本兵が参加していた。湯守仁は台湾・嘉義にて国民党軍相手にゲリラ戦を仕掛けるも増援部隊を呼ばれたことを知ると仲間を撤収させた。阿里山に戻った湯守仁に国民党は懐柔工作を続け、それを断り続けた湯守仁は4年後に銃殺された。湯は父が日本兵にならなければまだ生きていたいなどと語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年4月1日放送 8:00 - 8:15 テレビ東京
いい旅、見つかる 教えて!ツアーの達人(エンディング)
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