多くの古代遺跡が残る宮城県多賀城市。1300年前の奈良時代に作られたのが多賀城。白のすぐそばに平安時代からあったとされる陸奥総社宮の市川篤さんは、1300年の歴史がありながらも知名度が低いと話した。今年復元された高さ15mの南門の美しさを演出するのが大きな屋根を支える組物。複数の木材を組み合わせ釘を使わずに作られた古代建築。門の横は敵の侵入を防ぐ高さ5mの築地塀となっており、1層1層土を突き固めて作ったもので強度はコンクリート級。復元工事では1層積み上げるのに3時間、50回近く繰り返し1枚の壁が出来たという。その塀は900m四方を囲んでいた。一際高い場所にあった広大な区画には重要な政務や儀式が行われた政庁があった。多賀城は東北地方を支配するための拠点として作られ、城内には工房や倉庫も置かれて1200人もの人が働いていた。国宝の多賀城碑は高さ2mの石材に141文字が刻まれており、多賀城から都や各地までの距離が記されている。また後半には多賀城創建の年と修理された年が刻まれ、最後に石碑が建てられた日付が記述されている。多賀城碑には一番目立つように「西」という文字が刻まれている。都のある西へ多賀城の功績をアピールする、全方位の文字を刻んだ石碑を建てようとした、西日に当てるための3つの説がある。
住所: 宮城県多賀城市
