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「大小田八尋さん」 のテレビ露出情報

1970年代、米ソ冷戦の最中、航空自衛隊は日本の領空に度々接近するソビエト軍機にスクランブルを繰り返していた。事件が起きたのは1976年9月6日、北海道・奥尻島のレーダーが猛スピードで近づく識別不明機を捉えた。当時航空自衛隊千歳基地のパイロットだった永岩俊道さん。不明機が函館に現れた時の写真。この時は超低空飛行でレーダーなどから逃れていた。函館空港の上空に到達した永岩さんは、幻の戦闘機と言われるミグ25がいて目を疑ったという。操縦していたのはソビエト軍のビクトル・ベレンコ中尉で、アメリカへの亡命を望んでいた。実はその頃、日本は大きな政治問題の渦中にあった。ロッキード社の旅客機購入をめぐる賄賂疑惑で田中角栄元総理らが逮捕されていた。後任の三木武夫総理は徹底解明の構え。しかし自民党内では田中派を中心に“ミキおろし”が進んでいた。三木首相の秘書だった中村さんは以前の取材で、当時危機管理の意識は政府にも国民一般にも薄かったなどと当時を振り返った。当時の防衛庁長官の坂田道太氏がこのことを知ったのは、強行着陸から1直二条が経ったころ。三木総理に防衛庁から報告が上がったのはさらに3時間後。当然対応は後手に回る。着陸の翌日、ソ連から日本政府に突きつけた要求が一昨年公開した外交文書に記されていた。さらにその翌日、今度はアメリカ政府筋からの極秘情報がもたらされた。ソ連軍ゲリラが函館に侵入する動きを把握という情報はすぐに陸上自衛隊函館駐屯地に伝えられた。当時第3中隊長だった大北さんは、上官から口頭で「ソ連のゲリラ部隊を撃滅せよ」と命じられた。だが自衛隊法に明らかに反していて戸惑ったという。本来自衛隊が戦闘などの準備を進めるには政府の命令が必須。武力行使となると総理が文書で出す防衛出動命令が欠かせない。三木総理は当時自衛隊に対してこういうふうに対応しろとは、中村さんの記憶では一切発言がなかったという。しかし幕僚監部は一刻を争うと判断。政府命令がないまま有事に備えた体制づくりに着手。さらに全隊員に泊まり込みが命じられた。このとき、自衛隊法を専門とする法務官として駆けつけた大小田さんは、命令がないまま準備が進むのを目の当たりにしたという。当然、陸上幕僚監部は防衛庁長官と総理による命令を出すよう事務方の内部運用局に働きかけていたが、大小田さんによれば、混乱する官邸に文書を回しても門前払いになる上、長官は総理の意向を気にしているとして退けられたという。駐屯地では、命令を受けた大北さんたちが上官に「文書命令を見せてくれ」と厳しく要請したという。

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