豊島にはかつて十数メートルの高さまで産業廃棄物の山が積み上がっていた。産廃調停は明日6月に6日で25年。これをきっかけに、国は様々な廃棄物関連の法整備を進めて、循環型社会を目指す方向へとごみ政策の転換点にもなった。発端は1978年、香川県の事業者に廃棄物でミミズ養殖に国が許可を出した。それから産廃が大量に運び込まれて野焼きしたため、住民にぜんそく症状など健康被害が出た。しかし、香川県は適切な指導監督を怠り被害は拡大し、1990年に兵庫県警が事業者の強制捜査を行い違法として産廃の運び込みが止まった。大量の産廃は島に残され、住民は県・事業者に撤去を求めたが、県は拒否、事業者は後に破産して放置された。1993年には故・中坊公平弁護士らが無償で弁護団を結成し国の公害調停で解決を図った。住民らはビラ配りなど世論にも訴え続け、2000年6月6日に県知事が住民に謝罪し産廃の撤去などを約束した。国は廃棄物処理法を改正し、関連法も改正されてリサイクルをしていく考えに社会が変わるきっかけになった。大川真郎弁護士は「豊島事件を機に法律の不備が明らかになって循環型社会に転換する法整備が進んだ」と意義を強調する。跡地は全国各地の自治体や海外からも視察や見学を受け入れる環境学習の場になっている。産廃は国が財政支援して県が撤去し、隣の直島に設けた施設で無害化処理をした。2023年には地下水の浄化作業が終了したが、モニタリングでは今も環境基準を上回る場所もある。