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「熊町小学校」 のテレビ露出情報

木村紀夫さん(58)はあの日、福島県・大熊町に住んでいた。自宅があったのは線量が高く、今も立ち入りが制限されている「帰還困難区域」の中。そのため許可なしに入ることはできない。見えてきたのは福島第一原発がある大熊町。自宅を案内してもらうと、海から100mほどの距離にあった家は津波で流された。裏山に建てられていたのは慰霊碑。津波に飲まれた父・王太郎さんと妻・深雪さんは約1ヶ月後遺体で見つかった。ただ小学校1年生だった汐凪ちゃんはまだ見つかっていない。県外に避難したあとも被ばくの危険にさらされながら木村さんは何年も汐凪ちゃんを探し続けた。その後ボランティアや重機が入っての捜索が行われ、震災から5年9ヶ月、マフラーが見つかり、その中から首の骨のひとかけらが出てきた。そして2年前には汐凪ちゃんの太ももの骨が発見された。ただ見つかることで湧き上がる複雑な思いも。木村さんは「彼女が津波で犠牲になったのか、ここに置き去りにされたことで亡くなったのかわからなくなった。そういう状況を生んでしまったのは明らかに原発事故が原因と言える。」と話す。いま語り部として活動している木村さん。そのときに案内しているのが汐凪ちゃんが地震の直前まで過ごしていた小学校。あの日から時が止まった教室。木村さんはこの場所だから伝えられることがあると言い、「原発事故によってこの教室がいまだにこういう状況で残っているのはここだけの問題ではなく、電気を使っている皆さんの問題でもある。良いとか悪いとかではなく、自分たちはどういう社会をつくっていくのか1つの提案ができる場所。」と語った。年間120回に及ぶ語り部活動。突き動かすのはある後悔だった。木村さんは「過去に犠牲者を出した津波は福島にも津波があがっている。自分たちは知らなかっただけ。それを知っていたら家族に「地震が来たら家に戻っちゃいけない」と話ができていたと思う。それができていなかったことが1番後悔していること。」と話す。ことし元日、いまだ8割が見つかっていない汐凪ちゃんの遺骨を探していたときには能登半島地震が発生。いつ起きてもおかしくない大災害。木村さんが目指すのは誰も犠牲にしない防災。木村さんは「100%命を守る答えは出ないが、それに向かってできることはある。」と話した。
住所: 福島県双葉郡大熊町大字熊川字緑が丘10

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年3月10日放送 15:00 - 16:30 TBS
NスタNスタ 東日本大震災13年つなぐ、つながるSP 〜いのち〜
木村紀夫氏(58)は東日本大震災の教訓を伝える語り部を務めている。自宅は福島第一原発から約3kmの場所に位置し、自宅にいた祖父、次女、妻が津波で流された。原発事故による避難指示で退避せざるを得ず、木村氏は長女を最優先にして捜索を断念した。祖父、妻は震災の翌月に遺体となって発見された。木村氏は毎月、避難先の長野県から車で大熊町へ通い、重機なしで次女の汐凪さんの[…続きを読む]

2024年3月10日放送 8:00 - 9:54 TBS
サンデーモーニング3.11 東日本大震災 あの日から13年
東日本大震災から13年、死者1万9775人、行方不明者2550人。県外避難者は2万人を超えていて、その大半が福島県。その理由は帰還困難区域。今も廃炉作業が続く福島第一原発から約3.5キロにある旧大熊町立熊町小学校。今も許可なく立ち入ることができない中、先月当時の児童らに開放された。13年ぶりの再会だが、教室はあの日のまま。当時小学4年生だった志賀俊希さんは下[…続きを読む]

2024年2月4日放送 7:00 - 7:40 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
大熊町では、福島第一原発事故による避難指示が続いている地域内にある小学校などで、子どもたちの私物が残されたままになっている。大熊町では2日から4日までの3日間、私物を持ち帰ってもらうために建物を開放した。

2024年2月4日放送 6:00 - 6:15 フジテレビ
FNNニュース(FNNニュース)
震災当時、大熊町の熊町小学校には333人の児童が通っていた。帰還困難区域で立入りが禁止されているが、校舎の老朽化が進んでいることなどから、13年前の震災後、初めて私物の持ち出しが行われた。町は、震災の伝承のための資料として、校舎を残す方針で検討を進めている。

2024年2月3日放送 22:55 - 23:00 NHK総合
ニュース・気象情報(ニュース)
大熊町では、原発事故による避難指示が町の面積のおよそ半分で続いていて、その地域にある小学校と幼稚園、児童館には、子どもたちの私物が残されたままになっている。このため、町は2日から4日までの3日間、私物を持ち帰ってもらおうと、それぞれの建物を開放していて、3日は、当時通っていた人たちや職員が次々と訪れた。当時の担任とも再会し、思い出を語り合う姿も見られた。

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