三重県・志摩市の海女を特集。ここで活動する海女は乙姫様の孫を名乗っているのだという。古くから海難の岬として知られた大王埼周辺は海女も漁を行うことで知られる。ここでは平安時代から海女が活動を行っていて、カチドと呼ばれる自力で浅めの海底に潜る方法名子が見られる。呼吸は磯笛と呼ばれる形で整えていて、70歳を超えて現役の海女もいる。夫婦が1組になって沖へと進む様子も見られ、船で遠くまで行く海女はフナドと呼ばれる。松井文子さんもその1人で松井さんは母もフナドだったが、海女が大成できるかは甲斐性次第だと言われている。海女たちは昼を迎えるとカマドと呼ばれる海女小屋で過ごしていて、体を温めながら午後の作業へと備えていくが、カマドでの世間話や海女唄も楽しみとなっている。海女は50秒ほど生きを止めて潜水する過酷な労働となっていて、漁の期間を終えると10kgほど痩せる人もいたという。アワビの漁獲量は10分の1ほどに減少しているが、現在も志摩市では活動が行われていて、鳥羽・志摩の海女漁の技術として国の重要無形民俗文化財にも選ばれている。獲物を巧みに探し出す技などを残す物となっているが、カチド漁は5年ほど前から磯焼けが深刻化すると取れるアワビの漁も減ってしまっているという。その一方でアワビの養殖や、エサとなる海藻・アラメの養殖も進められている。今週28日の「よみがえる新日本紀行」でも海女文化を残すための取り組みは伝えられる。