いま学校はブラック職場と言われなり手が減っている。背景にあるのは、不登校への対応や外国人転入生の増加。大阪市北区・大阪市立豊仁小学校に半年間密着し、教育現場のリアルな姿を追った。全校児童約390人。松下隼司さん46歳は、教師になって22年がたつ。6年生の担任で、楽しく学べる授業を心がけている。給食の時間、松下さんはプリントの丸つけを終えると給食をかき込む。1分足らずで食べ終えた。松下さんは「宿題の答え合わせ、子供たちの提出物、連絡帳を見る時間がなかった。どこ削るかといったら自分の給食の時間を削るか、食べる量を削るか」と語った。定時の午後5時を過ぎても学校にはほとんどの教員が残っている。日中にできなかった事務作業や次の日の授業の準備を行っている。松下さんは、5時すぎに学校を出ると4歳の長女を保育園に迎えに行って帰宅。小学6年生の長男と長女の3人で夕食。夫婦ともに小学校の教師。子供の送り迎えは松下さんが担当。妻が仕事で遅くなる日はお弁当を買って帰る。
2歳のときに父親を交通事故で亡くした松下隼司さん。1人で育ててくれた母親は特別支援学校の教師だった。正月になると教え子から大量に届く年賀状を見ていつしか教師という仕事に憧れを持つようになった。24歳で小学校の教師に。子供に全力で向き合う熱い先生が理想の姿だった。深夜2時、松下さんが仕事を始める時間。午後8時半ごろ、子供と一緒に寝たあといつもこの時間に起きる。理科と音楽以外、全ての教科を担当。松下さんは出勤するまで一睡もせずに机に向かう。ゆっくり起きられるのは休日だけ。多忙な毎日を送っている松下さんの忘れられない言葉は、5年前クラスの子供から「先生の仕事ってブラックなん?」と聞かれたこと。松下さんは、この言葉をきっかけに3年前、絵本「せんせいって」を出版。現役教師の立場から伝えたいという思いからだった。
2学期が始まった去年8月末。1年生〜6年生まで計5人が中国から転入してきた。松下隼司さんのクラスにも転入生がやってきた。1か月前に来日したばかり。大阪市の公立の小中学校で学ぶ中国人の子供は約2500人。10年前の5倍の数。金曜日、1時間目・理科の授業。専門の教員が担当するため、松下さんは子供たちを理科室まで送ると急いで職員室へ。休みが続いている子供の家庭に連絡を入れる。様子を見るため、子どもの自宅に向かった。
2歳のときに父親を交通事故で亡くした松下隼司さん。1人で育ててくれた母親は特別支援学校の教師だった。正月になると教え子から大量に届く年賀状を見ていつしか教師という仕事に憧れを持つようになった。24歳で小学校の教師に。子供に全力で向き合う熱い先生が理想の姿だった。深夜2時、松下さんが仕事を始める時間。午後8時半ごろ、子供と一緒に寝たあといつもこの時間に起きる。理科と音楽以外、全ての教科を担当。松下さんは出勤するまで一睡もせずに机に向かう。ゆっくり起きられるのは休日だけ。多忙な毎日を送っている松下さんの忘れられない言葉は、5年前クラスの子供から「先生の仕事ってブラックなん?」と聞かれたこと。松下さんは、この言葉をきっかけに3年前、絵本「せんせいって」を出版。現役教師の立場から伝えたいという思いからだった。
2学期が始まった去年8月末。1年生〜6年生まで計5人が中国から転入してきた。松下隼司さんのクラスにも転入生がやってきた。1か月前に来日したばかり。大阪市の公立の小中学校で学ぶ中国人の子供は約2500人。10年前の5倍の数。金曜日、1時間目・理科の授業。専門の教員が担当するため、松下さんは子供たちを理科室まで送ると急いで職員室へ。休みが続いている子供の家庭に連絡を入れる。様子を見るため、子どもの自宅に向かった。