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「大阪毎日新聞」 のテレビ露出情報

タモリらは上高地を散策。上高地に人々が来るようになったのは江戸時代。穂高神社には雨が降ることを願う人々が集った。また、上高地は木材を生産する場所でもあり、一年に200人以上もの杣が入って仕事をしていたという。
続いて、タモリらは上高地から車で40分ほどの稲核という集落へ。この地にある風穴では蚕の卵を冷蔵保存していた。蚕の産業が最も栄えたのは江戸時代から明治時代に変わる頃。日本を支えた絹産業の発展はこの風穴を活用した技術のおかげだという。蚕の卵の貯蔵業がきっかけとなり、明治37(1904)年に松本から稲核までの道が整備されることに。この道が整備されたことが、後に上高地が山岳リゾートになっていくことにつなっがていくという。
タモリは上高地の入り口へ。釜トンネルは上高地への玄関口となっている。釜トンネルの横にはもう1つトンネルが。そのトンネルには古い釜トンネルが存在していた。大正池の水を使った発電所の建設のために造られた。釜トンネルが造られた昭和2年、上高地の名を一躍有名にする出来事が起きた。それが、昭和初期に行われた日本を代表する新たな景勝地を決めるコンテストでの入選。上高地は渓谷部門で1位に輝いた。こうして上高地の名が全国区となった。
タモリらは釜トンネルを越え上高地へ。上高地帝国ホテルができたのは、日本八景に選ばれた6年後の昭和8年。外国人を迎えるにふさわしいものをと、当時の長野県知事が依頼して建てられたもの。このホテルが建てられたことでできたものが道路だった。上高地までの道はこうして出来上がった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月24日放送 22:30 - 23:15 NHK総合
歴史探偵日本人と選挙
政府が翼賛選挙を発表した1942年。当時の内閣総理大臣は東條英機で、中国との戦争が泥沼化していた。アメリカとも開戦しており、さらに戦争が長引くことが予想された。そこで議会全体を掌握するために、政府に協力的でない人物を洗い出して推薦候補を選別していった。推薦されなかった候補は厳しい戦いを強いられたという。そこで非公認だった齋藤隆夫の選挙の様子について、齋藤隆夫[…続きを読む]

2025年8月23日放送 17:30 - 18:35 TBS
報道特集(特集)
1938年、大阪毎日新聞のカメラマンが撮影した戦地の日本兵。この写真は軍の検閲で掲載不許可になった。毎日新聞大阪本社のアーカイブ室には日中戦争から太平洋戦争にかけての戦中写真が並ぶ。657人の特派員が6万点の写真を撮影し、91人が殉職した。検閲による不許可のスタンプが多い。国平幸男カメラマンの長男・雅宏さんは父と同じ元毎日新聞カメラマン。生涯カメラマンだった[…続きを読む]

2025年8月12日放送 2:09 - 3:03 NHK総合
NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争1942【大日本帝国の分岐点 後編】
銃後の市民は東南アジアの状況を知る由もなかった。指導者たちは大東亜共栄圏の理想を市民に語り続けていた。戦況に関する情報が厳しく統制される一方、東條首相はラジオやニュース映画を駆使して、国民の関心を惹きつけていた。戦争の現実と隔てられた銃後。情報が乏しい中で、出征した兵士の家族はその無事を願っていた。

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