仏教の伝来は6世紀の半ば。734年は天平の大地震、735年には疫病が大流行。752年に大仏が開眼した。
仏教伝来からおよそ200年が過ぎた奈良時代、天平6年の大地震では書物には死者が多数としか残っていない。縦横無尽に走る活断層がこの地域には多数あることが様々な研究調査から分かっている。生駒断層帯は近年の調査で古墳時代から平安初期までの間に一度だけ大きく動いたことが判明した。応神天皇陵は前方部は崩壊している。崩れた部分は生駒断層帯の真上という。
天平6年の地震で巨大な断層帯の大部分が同時に動いた可能性がある。大地に3mにもなるずれを生み地形が変わった。狭山池は飛鳥時代に造られた巨大なため池だが堤の断面に天平6年の地震跡がある。平城京の周囲一体に壊滅的な被害をもたらしたと考えられる。
聖武天皇は自分を責め、当時天変地異は天皇の政治に徳が欠けた時に起きると考えられていた。聖武天皇は仏に頼り写経を命じた。地震の僅か1年後、事態はさらに悪化し今度は疫病が大流行した。田畑は荒れ飢饉をもたらし、政治は一時機能が停止するまでに追い込まれた。死亡者数は総人口の1/3、100万~150万人。聖武天皇は日本を新たに立て直すため仏教によって国を守ることを決意する。東大寺に大仏を造立した。この時の疫病は天然痘もしくははしかだった可能性が考えられている。
仏教伝来からおよそ200年が過ぎた奈良時代、天平6年の大地震では書物には死者が多数としか残っていない。縦横無尽に走る活断層がこの地域には多数あることが様々な研究調査から分かっている。生駒断層帯は近年の調査で古墳時代から平安初期までの間に一度だけ大きく動いたことが判明した。応神天皇陵は前方部は崩壊している。崩れた部分は生駒断層帯の真上という。
天平6年の地震で巨大な断層帯の大部分が同時に動いた可能性がある。大地に3mにもなるずれを生み地形が変わった。狭山池は飛鳥時代に造られた巨大なため池だが堤の断面に天平6年の地震跡がある。平城京の周囲一体に壊滅的な被害をもたらしたと考えられる。
聖武天皇は自分を責め、当時天変地異は天皇の政治に徳が欠けた時に起きると考えられていた。聖武天皇は仏に頼り写経を命じた。地震の僅か1年後、事態はさらに悪化し今度は疫病が大流行した。田畑は荒れ飢饉をもたらし、政治は一時機能が停止するまでに追い込まれた。死亡者数は総人口の1/3、100万~150万人。聖武天皇は日本を新たに立て直すため仏教によって国を守ることを決意する。東大寺に大仏を造立した。この時の疫病は天然痘もしくははしかだった可能性が考えられている。
